石見銀山を発見して得た莫大な富が、博多発展の礎に。戦国時代の博多商人神屋一族

 2007(平成19)年、島根県大田市にある石見(いわみ)銀山が世界遺産に登録された。かつて世界にもその名を知られた銀山だが、実は博多との縁が深い。石見銀山の成り立ちには戦国時代の博多商人・神屋寿禎(かみやじゅてい)が関わっているのだ。寿禎は博多の豪商三傑の一人として有名な神屋宗湛(そうたん)の祖父に当たる。出雲に銅を仕入れに行った際に、偶然にも石見銀山を発見したという。銀を産み出すことで莫大な富を得たのである。博多の発展にも貢献した石見銀山と神屋一族の興隆の跡をたどってみた。

☞頂上が光る山を船から発見
 博多の豪商として知られる神屋一族の先祖は神屋永富という海商である。環東アジア海域を舞台に貿易で名をはせた。永富の息子の主計(かずえ)は、勘合貿易の船団の総船頭を務めるなど、明(中国)を通じて外国文化の見聞を広げた。
 石見銀山を開発したのは永富の兄弟で宗湛の祖父に当たると思われる寿禎である。当時の日本では銅が重要な輸出品であった。寿禎は、そのころ博多を支配していた大内氏との関わりもあって、銅を出雲の口田儀(島根県)にある鷺銅山に求めた。
 寿禎は日本海を航行中、船の上から偶然山の頂上に光が登るのを見て、...

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