命の足跡残すために 27年かけ徒歩で九州一周中

藤野 隆さん(60)=福岡県福津市津屋崎

 帽子、左手に赤いつえ、そして竹かごバッグ。動かない右足を引きながらゆっくりと歩む。レトロな建物や面白い看板などを見かけると、すぐに立ち止まってスマホ撮影。道を尋ねた相手と意気投合して長々と話し込むことも多く、一日に進むのは3~5キロ程度だ。いったん帰宅し、次回、その地点に戻って歩き始める。

 中3で交通事故に遭い、搬送され腎臓疾患が見つかった。人工透析をしながら高校に通い、健康管理ができるように大学は家政学部に進んだ。当時は男性では珍しかった家庭科教員免許を取得。大野城市職員になった。

 30代で父の提供した腎臓を移植し、透析から解放された。だが4年後に拒絶反応が出始め、再び人工透析の生活に戻った。身近で闘病していた患者の死に触れ、「自分もいつ、どうなるか」と考えるようになった。足跡を残そうと思いついたのが徒歩での九州一周。1994年正月、大野城市からふらりと歩き始めた。

 仕事の合間に歩き続けた。初めは追い立てられるように、ひたすら歩いた。食事の時間も惜しんでパンをかじりながら、多い日は数十キロ歩いた。自分の命がどこまであるのか分からない不安で、とにかく早く終わらせたかった。

 宮崎県日向市まで到達した13年前、出勤準備中に脳出血で倒れた。一カ月は記憶がなく、気付くと右半身まひと失語症になっていた。子ども2人はまだ幼く、「何か動かなきゃ」と必死の思いでリハビリに励んだ。かつて家庭科で使ったミシンを片手で動かせるようになり、革細工を始めた。「藤野高嗣」の名で革作品を作り、指導も行う。

 つらかったのは言葉が出てこないことだ。愛読書だった武者小路実篤の「人生論」を一文字ずつたどり、パソコンに打ち込んでみた。かつての自分があちこちに傍線を引いている。だが、文章の意味が分からない。一行しか進まなくても、それでも毎日続けた。

 何でも続けることに意味があると思い、2年後には九州一周も再開した。歩ける距離はわずかだが、言葉を取り戻しつつあるうれしさからか、以前とは違って人に話しかけるようになった。道を尋ね、不自由な体で九州一周をしていることを話すと驚かれる。友だちも増えた。「現在の言語能力は、以前の1割くらいだと思う。でも失語症になった後の方が、よくしゃべるようになった」と笑う。

 3年前に北九州市に到達し、今月ようやく宗像市まで来た。ヒバリのさえずりに心を癒やされたり、強い潮風に帽子をさらわれそうになったり。「車では見えないものが、歩くとたくさん見えますよ」。来年あたり、大野城市にゴールできるだろうかと考えている。 (今井知可子)

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