「命大事に」突然他界した娘との約束、防災に生かす

 2011年3月11日の東日本大震災から10年。看護師の川野淳子さん(61)=大分県佐伯市=は今年も、あの日の1年前に突然死した15歳の娘を思い浮かべた。津波の後、同じように子どもを失った親の力になりたいと現地を歩き、逆に勇気づけられてきた。今、新たに災害支援や防災の道を歩む。命の尊さを知る東北の人や、娘との約束を果たすように。

 川野さんは10年3月12日、15歳の次女時江さんを亡くした。中学校の卒業式の1週間後だった。

 高校の合格発表日。志望校への進学がかなわず家にいた時江さんを、友人たちが心配して訪ねてきた。時江さんは玄関先で友達と抱き合った瞬間に崩れ落ち、そのまま目を覚まさなかった。心臓性突然死の疑い、と医師に告げられた。

 毎晩涙を流した。娘に強く抱き締められる夢も見た。「なぜ」。死を受け入れられないまま時がすぎた。

 一周忌の前日、東日本大震災が発生。児童74人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の映像を見た。自分と同じように子どもを失った親に寄り添いたいと思い、12年に現地へ。仮設住宅でボランティアをし、家族や家を失い、遺体にも会えない人に出会った。

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 その後も14、16、17年に宮城県を訪れ、ボランティアをした。街のがれきは片付けられていったが、人の心の傷は癒えなかった。

 70代の男性は妻と子ども2人を亡くし、独りぼっちになった。「なんで俺だけ生き残ったか。みんないなくなるなら死にたかった」

 80歳ほどの女性は娘を失った。女性を助けようと職場から家に向かう途中、津波にのまれた。「娘の代わりに孫をちゃんと育てんと」。頬を涙がつたった。

 息子夫婦が、娘夫婦が、孫が-。家族を4人、5人と失った人。傷ついた息子の遺体と対面し、目を伏せた母。家を流されたお年寄り。それでもなんとか日々を送っていた。

 娘に化粧をし、家族や同級生と送り出した日を思い出した。「私はまだよかったのかもしれない」。家族を失った人のために何かしたい、との思いを恥じた。逆に励まされた。

 「これを伝えていかんといけん」。東北の教訓を九州に生かそうと決めた。

 被災した人を、医療や介護面で支える災害支援ナースの資格を16年に取った。間もなく熊本地震に襲われた熊本県南阿蘇村に派遣された。避難所に入り、家を失った高齢者の薬の管理、排せつの世話に当たった。

 阿蘇は娘が幼い頃、家族でキャンプを楽しんだ地。山は崩れ、道路は裂け、風景は一変していた。自然の前で人はなんと無力か、思い知らされた。

 家のある佐伯市は太平洋に面し、南海トラフ地震が起きると約13メートルの津波が30分ほどで押し寄せるという。「その時にどう動くか教え、命を守る人がいないといけない」。18年、今度は防災士の資格を取った。

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 ボランティアも続けた。佐伯市が広く浸水した豪雨では、水に漬かった家から泥をかき出し、家具を外に出して洗った。防災訓練では避難所に集まった人を治療し、病院への搬送を仕分けする役をしている。

 ふとした時、石巻市での出会いを思い出す。街を見渡せる高台で、偶然話し掛けた70代の女性は津波の語り部だった。

 次々押し寄せる波の恐ろしさ、逃げる場所を決めておく大切さ。女性は言った。「九州も南海トラフが来るのよ。東北を忘れずにね、教訓にしてね」。防災に生きる決意が固まった。被災地に力をもらわなくても、もう生きていける。

 思えば、娘もよく命の尊さを口にした。末期がん患者の緩和ケア病棟に勤める川野さんの仕事に興味を持った。亡くなる半年前、こんなことを言った。

 「おかあ、がんが治らなくて大変な人のために、力になってやってな」

 「神様は人に命を一つしか与えてないから、大事にせんといかんな」

 命日は3月12日。震災は3月11日。娘と被災地はどうしても重なって見える。だから思う。「命は一つ。1人でも多くの命を災害から救いたい」。時江さんや、東北の人と結んだ約束だと思っている。

 (編集委員・河野賢治)

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