「円谷君ありがとう」君原さん、盟友と聖火つなぐ

 「感動しました。オリンピックに出た時のような感激です」。メキシコ五輪マラソン銀メダリストの君原健二さん(80)=北九州市八幡西区=は27日、聖火ランナーとして福島県須賀川市を走った。同市は1964年の東京五輪のマラソンで共に戦い、銅メダルを獲得した故円谷幸吉さんの故郷。若くして自殺した盟友の写真をユニホームの下に忍ばせ、57年ぶりの東京五輪に向けて聖火をつないだ。

 君原さんは沿道からの大きな拍手に手を振って応え、笑顔で約200メートルをゆっくりと走った。ゴールすると、円谷さんの兄喜久造さん(89)と握手して喜びを分かち合った。

 沿道では円谷さんの母校・須賀川高の生徒約50人が赤いサルビアを抱えて見守った。64年東京五輪の聖火リレーで、同校の生徒は聖火に見立てたサルビアを持って沿道で応援した。その時の花の種を喜久造さんが育て続け、市民らが増やして約6千本を用意したという。

 この日の朝、君原さんは聖火リレーの会場からほど近い寺にある円谷さんの墓に参った。2人の好物だった缶ビールの半分ほどを墓石にかけ、残りを飲んだ。君原さんは40年来、円谷さんをしのんで同市で開催されるマラソン大会にほぼ毎年参加し、そのたびに墓参りをしてきた。君原さんにとって須賀川市は「第二の故郷」となった。

 64年東京五輪で、2位で国立競技場に入った円谷さんはゴール前で英国選手に抜かれ銅メダルに。「国民との約束」と、メダル獲得を誓った4年後のメキシコ五輪の本番9カ月前、自ら命を絶った。メダルの重圧に、けがや結婚の破談が重なった。

 メキシコ五輪で君原さんは2位で競技場に入ったが、ふと円谷さんのことが頭をよぎり、後方に目をやると、他国の選手が迫っていた。最後の力を振り絞り、逃げ切った。「円谷君が天国から見守ってくれていたかな」と、今では思う。

 この日履いたシューズは、東京、メキシコ、ミュンヘンの五輪3大会で使用したものと同じ型。スポーツメーカーに勤める次男の嘉朗さん(49)が用意した。

 君原さんは目を細めながら語った。「現役時代の感覚がよみがえって、履き心地を懐かしく味わった。こんな機会をくれた円谷君に改めて『ありがとう』と伝えたい」 (白波宏野)

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