継ぐ「三四郎」魂 古賀さん次男、父にささぐ初V

 場内インタビューで言葉を詰まらせた。「何も恩返しできないまま亡くなったので。何としても優勝したかった」。4日に福岡市の福岡国際センターで行われた柔道の全日本選抜体重別選手権(西日本新聞社など共催)男子60キロ級で古賀玄暉(げんき)(22)=旭化成=が初出場初優勝を果たした。

 同選手権で男子71キロ級を1987年から6連覇するなど7度の優勝を果たし、92年バルセロナ五輪で同級金メダルに輝くなど「平成の三四郎」と呼ばれた稔彦さん(佐賀県みやき町出身)の次男。今大会を11日後に控えていた3月24日、父は53歳の若さで死去した。さらに父の死の直前に稽古で左膝を痛めていた。「無理してでも出よう」。通夜、告別式と慌ただしい中で決断した。

 兄の颯人(はやと)(23)とともに父が設立した「古賀塾」で始めた柔道人生。世界ジュニア選手権を制するなど実績を残したが、シニアでは大きな結果を残せずにいた。2024年パリ五輪の起点となる選抜体重別選手権。ひつぎに「結果を出して恩返しします」とつづった手紙を入れ、膝の痛みをこらえてランニングで減量し、打ち込みも再開した。

 稔彦さんはバルセロナで左膝に大けがをしながら金メダルを獲得。玄暉は「たとえけがをしてもやることは変わらない」と言われたことがある。試合の合間に助言を送った父はいないが「今まで以上に覚悟が強くなった」。初戦を絞め技、準決勝は大内刈りで一本勝ち。決勝では先に技ありを奪っても一本を狙った。「ここで逃げてはいけない」。相手に技ありを取られて延長に突入しても攻め続けた。「勝負するしかない」と大技の肩車で決着。日本男子代表の井上康生監督は「苦しいこと、つらいことに打ち勝てる心を証明した試合。ここがゴールではないと古賀先生も思っているはず」と評価し、世界選手権(6月・ブダペスト)の代表に初めて選んだ。

 今春、日体大から旭化成に入社。多くの五輪メダリストを生んだ強豪で「柔道に一番取り組みやすい環境」と父の後押しを受けた。「五輪金メダルという目標がある。そのために一つ一つの大会で優勝していきたい」。父と同じ道を歩み続けることを誓った。(向吉三郎)

関連記事

佐賀県の天気予報

PR

佐賀 アクセスランキング

PR