“自主避難”余震で引き戻される3・11 動悸、めまい、フラッシュバック

福島原発事故10年 「終わってない」

 東京電力福島第1原発事故による放射性物質の影響を心配し、国の避難指示の対象に入らない福島県の地域から、県外に逃れた人々がいる。社会から「自主避難者」と呼ばれ、十分な賠償や周囲の理解を得られないまま、長期間の避難生活を続けている。東日本大震災から10年を経た今、何を感じているのか。

 2月13日深夜、福島県沖を震源とした最大震度6強の地震が発生した。福島を中心に土砂崩れや家屋倒壊が起きて、関東も広い範囲で揺れた。その直後、同県郡山市から東京都内に避難する女性(53)から、記者の元にメールが届いた。

 かなり動悸どうきがしています。長女も10年前の怖さがフラッシュバックして、泣きだしました

 気象庁は「東日本大震災の余震」と発表。その後も春先にかけ、関東一円を揺らす地震が相次いだ。女性は2月の地震後、2週間ほど強い動悸やめまいが続いたという。「余震が起きると、当時の記憶を思い出してしまう。私たちの中で、震災はまったく終わっていないんです」

 2011年3月11日。女性の暮らす築40年ほどの木造民家は大きな揺れで玄関の戸がゆがみ、壁に大きな亀裂が生じた。いつ倒壊してもおかしくない状態。その日の夜、女性は小学生の娘2人を連れ、郡山市内の避難所に身を寄せた。

 翌日、避難所に届いた新聞で、津波によって原発が全交流電源を喪失したと知った。その日から水素爆発が相次いだ。避難所には原発の立地する双葉町、大熊町から逃げてきた人々がいた。「なぜ、政府は放射線量を公表しないのか」。避難してきた地元の大学教授は、こんな話をしていた。

 原発から女性の自宅までの距離は約58キロで、国の避難指示区域からは外れている。それでも「これまでにない異常が起きている」と不安になり、県外への避難を決めた。

 向かったのは東京都内にいる妹の家。そこでアパートや仕事を探し、娘2人の転校手続きを進めた。アパートは後に災害救助法に基づいた住宅の支援の対象となり、家賃はかからなかった。ただ、引っ越し費用や心身の不調を立て直すための通院費用がかさんでいった。シングルマザーで生活保護を受ける女性にとって、大きな負担だった。

 事故後、国の賠償指針に基づき、東電は避難者への補償を始めた。だが、避難指示区域から外れた女性が受け取った金額は、区域内の避難者と比べると相対的に少なかった。「多くの情報が飛び交う中、何を信じていいか分からなかった。とにかく子どもを守る一心で行動したのに、どうして区別されるのでしょう」

 「ただちに、健康に影響はない」と繰り返し、避難指示区域を線引きした政府。それでも被ばくの不安は拭えず、母として必死の行動だった。そんな思いを、同じ被災者にも理解されないことがあった。

 事故の数カ月後、一時的に立ち寄った郡山市で、再会した知人に贈り物を渡そうとしたら「いらない」と断られた。「あなたは勝手に逃げたけど、私たちはここを逃げられない。そんな視線を感じました」。仕事や家庭の事情で被災地にとどまる人、家族を守るために避難を決めた人…。事故をきっかけに考えの違いが鮮明になり、人間関係まで「分断」されたと感じた。

 住宅の無償提供は4年前に終わり、被災地では今、生活環境の整備や産業の振興など「復興」の側面が強調される。「目に見えるものばかり復興と言うけれど、本当の復興は他人が決めるものじゃない。被災者本人が自分でどう気持ちに整理をつけるか。その先にあるものではないでしょうか」。10年の節目を経ても、女性の心は区切りが付いていない。

(山下真)

避難先、今も47都道府県の926市区町村に

 復興庁によると、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故による避難者数は、全国で4万988人(3月10日現在)に上る。震災発生直後の避難者は47万人と推計され、この10年で10分の1を下回るまで減ったことになる。ただ、今でも避難先は47都道府県の926市区町村に上り、原発事故の影響が続く福島県では、最も多い7185人が避難する。九州7県の避難者も計1434人に上る。

 集計は、復興庁が各自治体から寄せられた情報を基に公表している。集計方法は自治体ごとに異なり、一部で自主避難者を含めないケースもあるため、「実態を反映していない」という指摘もある。

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