熊本地震5年 復興と伝承へ次の一歩を

 あの阪神大震災(1995年)で初めて、気象庁の震度階級で最も高い「震度7」が適用された。その激震に、熊本地方は続けざまに2度も見舞われた。

 2016年4月の14日午後9時26分と16日午前1時25分のことだ。熊本地震である。

 気象庁は前者が前震、後者は本震と発表した。地震の規模を表すマグニチュード(M)は順に6・5、7・3だった。九州全土を揺さぶり、熊本、大分両県に甚大な被害をもたらした。

 あれから5年を迎えた。被災地はハード面での復旧・復興がおおむね完了し、各地でまちづくりの新たなうねりも起こっている。その一方で、被災の経験と教訓を次世代に伝承する取り組みも進む。

■「ハコもの」だけでは

 本震で崩落した旧阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)は今も、橋桁の一部と渓谷に垂れ下がった道路が残され、震災を生々しく伝える。近くの山腹崩壊跡の復旧斜面と併せ、一帯には息をのむほどの光景が広がる。

 <この大崩れを、震災の記憶と、険しい自然に対する人々の挑戦の歴史を語り継ぐ遺構とする>。建立された記念碑に刻まれた言葉だ。前震で被災した友人に水と食べ物を届けた車での帰りに、大学生大和晃(ひかる)さんが犠牲になった場所でもある。

 被災した東海大阿蘇キャンパスの旧校舎も被災遺構として公開された。同大生3人は住居アパートが倒壊し亡くなった。

 多くの死を決して無駄にしない努力が、私たちに求められているのではないか。

 災害の伝承は次世代の命を守る上で大切な務めである。災害対策基本法でも「住民の責務」と位置付けられている。

 ただ、東日本大震災の被災地でも見られたように、被災建造物を残すかどうか、遺族の心情から賛否が割れることも少なくない。結果として建てられた記念館などの「ハコもの」だけでは、実際に起きた災害の悲惨を伝えきれないことがある。

 熊本では、被災建物や仮設住宅などを震災遺構としてほぼそのまま残し、見学しながら巡る回廊型ミュージアムとして整備した。全国の参考になろう。

 熊本地震で熊本、大分両県の犠牲者は関連死を含め270人を超え、住家被害は20万棟余を数えた。熊本市の一部は液状化し、住宅地が地盤沈下した。

 熊本県は「すまい」「営農」「被災企業」などを重点10項目に掲げ、国の支援制度も柔軟に活用し、被災した市町村と連携して復興に取り組んだ。地元住民が主体的に地域再生に力を注いだ成果も見逃せない。

■「心のケア」をさらに

 過去の大きな災害時の反省から政府、自衛隊、医療機関の初動も比較的早かった。そうしたノウハウは後に起こった九州豪雨(17年)や熊本県南部豪雨(20年)などにも生きた。

 それでも熊本地震の避難生活者は今も400人を上回る。特に震度7に2度とも見舞われた熊本県益城町では倒壊家屋の跡が更地のままとなっている宅地が散見される。被災者の生活再建はなお重い課題だ。心のケアを含む支援をさらに講じたい。

 災害からの復興では、目に見えるものが心理面で重要だ。

 新しい阿蘇大橋(南阿蘇村)が先月、熊本市街と阿蘇地方を結ぶ大動脈として復活した。被災した熊本城(熊本市)も天守閣の整備が先行して完了し、近く一般公開される。

 熊本を代表する二つのシンボルの復興は、被災地だけではなく九州全体に勇気とエネルギーを与えてくれる。新型コロナ禍が続き、遠方からの積極的な来訪は難しいが、可能な方法を探りながら被災地を支えたい。

 九州には多数の活断層が走っている。大地震に見舞われる可能性がない地域はない。その現実を肝に銘じ、協力し、復興へ次なる一歩を踏み出したい。

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