カメラで寄り添う阿蘇 地震を機に移住、写真家五十嵐さん

 熊本地震を機に熊本県南阿蘇村に移住した写真家の五十嵐恵美さん(41)が、村内で写真スタジオを開設したのは昨年11月のこと。5年近く村の仕事で復旧の歩みを撮影し続けてきたが、今後は住民や観光客の記念写真にフォーカスしていく。「何年、何十年と同じ家族の写真を撮りたい」。だから、自身もこの村に根を下ろす。

 牧場であか牛に囲まれながらポーズをとる新郎新婦、農作業姿での家族だんらん…。五十嵐さんの写真は南阿蘇の自然に溶け込んだ作風が印象的だ。

 自宅に簡単なスタジオを設けたが、使用することはほとんどない。お客が好きな場所を巡りながら共に時間を過ごし、その中で撮影した一枚を選ぶのが自分流だという。

 「好きな風景の中で記念写真を撮るのが、阿蘇らしいなあと思って」

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 2016年10月。現在の庁舎に移転する前の薄暗い村役場で、五十嵐さんは肩からカメラをぶら下げていた。首都圏の川崎市から移住してきたばかりだと、初対面の記者に告げた。なぜ、今?-。当時、村は熊本市方面につながる主要道路が寸断されて“陸の孤島”状態であり、地震の傷痕があちこちに色濃く残っていた。

 もともと、田舎暮らしに憧れていたのだという。大学卒業後は東京都内でカメラマンをしていたが「都会の生活にも写真を撮ることにも疲れた」。関心があった農業関連の仕事を始めようと移住先を探す中、南阿蘇村の知人に誘われて熊本行きの航空券を購入。その後に熊本地震が起きた。復旧ボランティアとして訪ねるうちに地域住民らとの交流が深まり、5カ月後には移り住んでいた。

 紹介されたのは、激減した観光客を呼び戻そうと村が立ち上げた官民組織の広報の仕事。「村が復興していく姿を一緒に見ていきたい」と、置いたはずのカメラを再び手にすることになった。

 復旧した道路の開通式や、復興イベントなどを片っ端から記録していった。飲食店や観光施設も一つずつ回り、被災を乗り越えて営業する人たちをSNSで発信し続けた。「あれだけの被害を受けても村の人は生き生きと暮らしていた。写真を通してそれを感じられるのが楽しかった」

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 広報の仕事に携わって5年目。仕事の任期切れが迫り、違う土地で違う仕事をすることも一時は考えた。

 ただ、5年を振り返ると、自身が好きなものを整理できた。写真を撮ること、そして自然と共にある阿蘇の暮らし。3月に新阿蘇大橋が開通し、不便な時しか知らなかった地域の、本来の姿も見えてきた。

 「被災地とか復興とかじゃない。これからの村と、ここにいる人に、写真で寄り添っていきたい」

 立ち上げたスタジオの名は「photo Makana o Minamiaso」(フォト マカナ オ ミナミアソ)。趣味のフラダンスで用いるハワイ語で「南阿蘇の贈り物」との意味だという。阿蘇で暮らす人にも、観光で訪ねてくる人にも、特別な一枚を贈りたい。 (森井徹)

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 五十嵐さんへの連絡は、インスタグラムでemi_honuainaまで。

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