西洋医学がいち早く浸透した江戸期の博多。医家の町を形成した先駆者たち

【博学博多】

 鎖国令下の江戸時代、福岡藩は佐賀藩と交代で長崎の警備を担っており、現地では博多商人も台頭していた。オランダ商館があった出島の築造にも関わり、福岡からは多くの留学生が学んだ。オランダ語で会話ができたという10代藩主黒田斉清などがいて蘭学を奨励したこともあり、福岡藩には西洋医学を活用する先進的な医療が開花した。博多部の一角にはそれらの医家の町が形成されるほどだった。今回は福岡の西洋医学の先駆者たちを中心に業績を紹介する。

☞「解体新書」より87年も古い解剖書
 江戸時代の初期、オランダ商館医の下で医学を修めた者には、オランダ語による医師免状が授けられた。記録では27年の間に9人が免状を授与された。その最後の9人目が第6代原三信である。
 祖・原三信は初代福岡藩主、黒田長政の藩医を務め、代々襲名し、医業を継承してきた。6代目は藩命により長崎へ留学し、1685(貞享2)年に免状を受け取ったのである。免状には外科医アルバート・クローンにより弟子、原三信が外科医術を学び、よく理解したことを認めると署名がされている。
 三信は1887年、当時欧州で広まっていた、ドイツ人医師レメリンによる解剖書を筆写し、解説書も和訳して...

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