官庁街からビジネスの「中心」へ 天神・明治通りが歩んだ道

 次世代の姿へ生まれ変わりつつある福岡市の中心部、天神地区。新たな都市空間と雇用を生み出す福岡市の「天神ビッグバン」プロジェクトがきっかけです。福岡をはじめ九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集し、その近現代史を研究し続けているアーキビストの益田啓一郎さん(54)=福岡市=が、再開発エリアの過去と今をつなぐ歴史解説へ、皆さんをご案内します。 ※アーキビスト(Archivist)=文化、産業的な価値ある資料を集め、それらを意義付けしながら活用する人材。

「天神の過去と今をつなぐ」(1) 天神ビジネスセンター周辺

 福岡都心部で進む大規模な再開発プロジェクト「天神ビッグバン」で、最も建設が進んでいるのが、福岡地所による「天神ビジネスセンター(BC)」。今年9月に完成予定ですが、そもそもなぜ天神地区は福岡のビジネスの中心となってきたのでしょうか。初回はその歴史をひもときます。

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 天神地区は今、1960年代以来の大規模再開発の途上にある。当時は、天神交差点に天神ビルや福岡ビルが完成し、西鉄福岡(天神)駅が高架となって街が大きく変化しようとしていた。

再開発が進む天神地区。発展の起点は天神交差点(右)だった=2021年3月

 天神ビッグバンの主な舞台となっている「明治通り」沿いはかつて、天神町(てんじんのちょう)と呼ばれた。地名の由来となった菅原道真公ゆかりの水鏡天満宮があり、福岡城下の東端の町であった。

 路面電車「福博電気軌道」の敷設を前提として1909(明治42)年1月、完成した明治通りの当時の呼び名は「福博大通り」。商都博多と城下町福岡を結ぶ幹線道路だった。

 明治末までの水鏡天満宮周辺は、すでに福岡県庁や市役所、警察署などが立ち並ぶ官庁街。現在、建設が進む「天神BC」以西には、藩政時代の武家屋敷の区画に学校が建設されるなど、閑静な住宅街のイメージが強かったという。

天神ビジネスセンター(左)と福岡ビル跡地(右)の間の「因幡町通り」を歩く益田さん

 天神地区がビジネス街へ歩みだすきっかけの一つが、明治時代に平岡浩太郎や伊藤伝右衛門ら炭鉱経営者が武家屋敷跡地を邸宅・別宅としたことにある。近くに、営林署や鉱山監督署など国の出先機関があった天神町の魅力に最初に気づいた人々であろう。

 1911(明治44)年秋、現在の渡辺通りに「博多電気軌道」が開通し、二つの路面電車が交わる交通の要衝「天神交差点」が誕生すると、町の様相は一変した。今からちょうど110年前のことである。

 戦前・戦中まで

 藩政時代から明治末までの天神地区のメインストリートは、今は「昭和通り」となっている旧唐津街道筋であった。

 当時、博多と福岡を結ぶ那珂川に架かる橋は、唐津街道筋にある西中島橋だけで、商店や旅館、銀行なども街道筋の橋口町に集中。大正期になると、電車通り沿いに少しずつ商店が進出をはじめた。

 そして1917(大正6)年には天神交差点の北西角(今の天神ビルの場所)に、九州電灯鉄道(九州電力などの前身)本社ビルが完成する。時計台のあるビルは、福岡県庁舎とともに天神地区最初のランドマークであった。

1920(大正9)年ごろの天神町電車通り。右に九州写真通信社がある

 同じ頃、現在建設中の天神BCの区画では、福岡日日新聞(西日本新聞社の前身)の初代契約カメラマンから独立した大崎周水が「九州写真通信社」を開業し、ニュース写真の配信と絵はがきの販売を始めた。

 現在、博多・土居町角に額縁画材店舗を構える大崎周水堂の創業者にあたり、桜島大噴火のスクープ写真を撮るなど国内最初期の報道カメラマンとして活躍した。大崎が店舗を構える以前には、同じ場所に「二枝西洋洗濯店」という福岡で最初のクリーニング店があり、近くには天心堂医院などもみられたという。

 明治通り沿いに金融機関の進出が始まるのは、1924(大正13)年4月に九州鉄道(西鉄天神大牟田線の前身)が開業し、福岡駅ができる前後である。

1934(昭和9)年ごろの天神交差点と明治通り

 1934(昭和9)年に証券取引所が進出すると、天神町は一気に金融街の様相となる。銀行や証券会社、保険会社などが立ち並び、天神BCの区画も同様であった。福岡大空襲で焼け野原となった天神地区が、終戦後に博多部よりも早く復興し、西日本一のビジネス街へと成長する起点がこの頃である。この区画に公証役場も開設されている。

 街を支える存在

 戦後、1955(昭和30)年にまちづくり組織「天神町発展会(のちに天神発展会、We Love 天神協議会の前身)」が誕生した。天神交差点を中心に東西軸だった明治通り沿いは「ビジネス街」との位置づけが明確となっていった。

天神町発展会が1960年3月に刊行した「天神町1910~1960」の地図

 一方の南北軸の渡辺通りは「商業街」として発展。福岡ビル建設や西鉄福岡駅の高架化、さらには地下街開発、歩道整備が進められていった。

 ビジネス街というコンセプトに沿って、建設するビルは主に賃貸オフィスとし、天神ビルや福岡ビル階上には商談の場となる会議室やホール、地下には食堂街が設けられていった。

明治通りにビルが林立し「摩天楼」と呼ばれた1960年代末。写真左側のエリアに、天神ビジネスセンターが建設されている

 天神地区の明治通り東西の端には、1969(昭和44)年に西鉄グランドホテルと博多東急ホテル(現・西鉄イン福岡)が完成し、天神に必要な要素がそろっていく。産業に乏しい福岡市の財政はそれまで常に逼迫(ひっぱく)していたが、オフィスビルの建設ラッシュにより税収が安定。都市の成長に必要なインフラ整備に注力する基盤が整いつつあった。福岡は政令指定都市、人口100万人へと一気に飛躍していく。

 「食の福神街」

 天神BC区画の南端には、戦後復興期に「福神街」という袋路地の食堂街が登場する。友楽寿し、うなぎの富士家、喫茶「赤とんぼ」「コービン」など、大衆的でサラリーマンに人気の飲食店が軒を連ねた。再開発に伴い、天神地区を一時離れて営業している天ぷらの名店「よし田」も福神街が創業の地である。

 今は天神BCがそびえ立つ明治通り側に、「西日本ビル」が完成したのは1954(昭和29)年4月。地上9階地下1階で、それまで最も高かった岩田屋(現福岡パルコ)ビルの高さを抜き、福岡における高層ビルの第1号。終戦後のビル開発は占領軍(GHQ)の統制により制限されていたが、統制解除後に着工したのが西日本ビルだった。

1954年に完成した西日本ビル。現在、天神ビジネスセンターが建設されている

 同ビルは、福岡で最初の本格的な複合オフィルビルでもあった。1960年代には約40の大企業の支店が入居。1階や地階には、西日本相互銀行(西日本シティ銀行の前身)をはじめ、菓子の老舗「凪洲屋(なぎすや)」やレストラン「キング」などがあった。天神地区における最初の「屋上ビアガーデン」も、西日本ビルだった。

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 ますだ・けいいちろう 1966年大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、社史・地域史の執筆、編集に携わりながら10万点超の古写真と絵はがきを収集してきた。近年では西日本鉄道(福岡市)創立110周年史の執筆、「にしてつWebミュージアム」を監修してきた。博多・冷泉地区まちづくり戦後史、博多祇園山笠「西流五十周年史」など、地域の近現代史の記録活動も継続。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」や、地元テレビ局、映画、舞台などの時代考証や企画、監修も担ってきた。著書に「ふくおか絵葉書浪漫」「伝説の西鉄ライオンズ」など。

 

 

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