返還49年「沖縄は何も変わらない」 「復帰の日」裏切られた希望

 戦後、米国の施政権下に置かれた沖縄が日本に復帰して、15日で49年になる。今も沖縄県には在日米軍専用施設の約70%が集中し、県民が求める基地の撤去や大幅縮小は実現しないままだ。「沖縄は何も変わっていない」。学生時代に沖縄復帰闘争に加わり、1972年の「復帰の日」に結婚した金城健一さん(76)=同県大宜味村(おおぎみそん)=は複雑な思いでこの日を迎える。

 結婚記念日でもある15日。金城さんと妻弘子さん(75)は結婚翌年から毎年、沖縄県最北端の辺戸(へど)岬に足を運んでいる。本土に最も近い場所で、政府に怒りの声を届けたいとの思いからだ。

 約20キロ先の鹿児島県与論島との間には、49年前まで北緯27度線という「国境」があった。金城さんは今なお、この海に国境線が引かれているように感じる。「復帰すれば本土並みに基地が縮小されると思っていたのに…。日本政府に裏切られた」

 金城さんの学生時代、米軍関係者による凶悪犯罪や事故が頻発した。「沖縄が米国統治下にあるのはおかしい。日本の平和憲法の下で日本人として教育を受けたい」との思いが年々強まった。

 高校1年の時、鳥取県で開かれた全国高校弁論大会に沖縄代表として出場した。「新しい沖縄の未来を、新しい日本の未来を勝ち取るために、励まし合って生き抜こう」と呼び掛け、最優秀賞に輝いた。

 東京の大学に通っていた68年には、日本本土の有志とも連帯して沖縄返還を訴える「海上集会」に本土側から参加した。北緯27度線付近で沖縄側から参加した母千代さん(故人)と対面し、家族をも隔てる国境を実感。復帰への決意を新たにした。

 70年に那覇市役所に就職。「沖縄が本土並みになる希望の日」と信じた復帰の日に、交際中だった弘子さんと結婚しようと決めていた。市長秘書として日本政府との交渉に随行するうち、米軍基地がそのまま残ることを知り、復帰への疑問が募った。

 「復帰すれば縮小するだろう」。かすかな希望を抱いて予定通り婚姻届を出した。だが、基地が沖縄に集中する状態は半世紀近くたっても変わらなかった。

 政府は今、県民の反対を押し切り、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事を強行する。退職後、生まれ故郷の大宜味村に戻った金城さんは、移設に反対する「島ぐるみ会議」のメンバーとして活動を続ける。沖縄の声を聞こうとしない政府への不信感は強まるばかりだ。

 「今の状況では、復帰50年を迎えても何も変わらないだろう。だけど何も言わないと、国民は沖縄を忘れてしまう。振り上げた拳を下ろすわけにはいかない」

 金城さんは今年も15日に妻と辺戸岬を訪ね、本土からの観光客に語り掛けるつもりだ。「今も引かれたままの国境線を取っ払うために、力を貸してください」と。

 (那覇駐在・野村創)

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