「水上のグレートマザー」は諦めない 最下級から復活誓う59歳

「水上のグレートマザー」日高逸子物語(1)

 鳴門海峡の渦潮が、機嫌を損ねたようにうなりを上げている。博多から新幹線と高速バスを乗り継いで4時間余り。神戸から淡路島を南下した日高逸子(59)=福岡市=は、四国・徳島の鳴門ボートレース場に向かっていた。

 2021年2月17日。強風で雪が舞い、水面には白波が立っている。ボートレーサー日高は、この悪条件の下、競技人生の進退を決する復帰戦に挑もうとしていた。

 生涯獲得賞金は、女子最高の10億円超。娘2人を育てながらトップ選手として君臨してきた日高を、人々は「ボートレースの女王」「グレートマザー」と呼ぶ。身長155センチ、体重46キロの小柄な体を鍛え抜き、闘志ほとばしるレースでファンを魅了してきた。

 しかし昨年秋、3度目のフライングを犯して150日間の出場停止を命じられた。同時に選手ランク(A1、A2、B1、B2の4階級)も最高のA1から一気に最下級に転落した。

 レースの出場機会が最も少なく、選手たちが「地獄の始まり」と表現するB2。A1への復帰は至難の業だ。現役女子最年長という年齢を考えても、誰もが「引退」の2文字を思い浮かべた。

 しかし、日高は違った。

 「これまでだって、逆転に次ぐ逆転の人生だった。はい上がっていくのも私らしい」

 生まれは宮崎県都城市。酒乱で暴力を振るう父におびえ、6歳の時に母は失踪した。父、兄と同県串間市の祖父母宅に身を寄せた。父の暴力はやまず、母を失った悲しみに耐えながら農作業を手伝い、新聞配達で家計を助けた。

 「この世界から抜け出したい。自分の手で何かをつかみたい」

 その一心で、高校を卒業して勤めた会社も辞め、過酷な勝負の世界に飛び込んだ。ボートレーサーとしては遅咲きの、23歳でのスタートだった。

鳴門ボートレース場での復帰戦で豪快なターンを決める日高逸子(写真手前の1号艇)

 ボートレースは主に男女混合で行われ、「水上の格闘技」とも呼ばれる。6隻が1周600メートルのコースを3周して速さを競う。ベニヤ板で作られたボートの最高時速は80キロを超え、体感速度は120キロに達するという。

 急カーブで転覆して後続ボートのプロペラに巻き込まれれば、顔をえぐられ、指を落とす。重傷どころか、命を落とす者もいる。生命保険は高額すぎて入れず、多くの選手は自宅に神棚を置き、無事を祈ってレースに挑む。

 しかし、日高は「神」の存在を信じない。験を担ぐことすらしない。

 「神頼みは嫌い。一人じゃ生きてはいけないけれど、まずは自分自身。何もしなくて恵まれる人はいない。どんな壁にぶち当たっても努めれば必ず報われるし、恵まれる。そうやって生きてきた」

 成績が伴わないのは「努力不足だ」と自分に言い聞かせてきた。10年前に痛めた両膝は悲鳴を上げている。それでも年齢とともに衰える体を鍛えるために、腹筋と背筋のトレーニングは一日も休まずやってきた。

 ただ、昨年秋からの出場停止には、これまでにない不安と焦りがあった。「出産以外にこれほど長い休みを経験したことがなかった」からだ。崖っぷちからの再起を懸けるのが、鳴門ボートレース場で開催される女子一般戦「ヴィーナスシリーズ」。その戦いが今、始まろうとしていた。

闘志を秘め、復帰戦を前にエンジンを運ぶ日高逸子

    ■   ■

 1985年にデビューし、ボートレース界をけん引してきた「グレートマザー」日高逸子。苦難の子ども時代を乗り越え、「努める者は必ず報われる」の信条を胸に、自ら道を切り開いてきた。その人生を追う。

=文中、写真とも敬称略(田中耕)

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