東京五輪・パラ 理解得られぬなら中止を

 東京五輪の開会予定日である7月23日まで2カ月を切った。新型コロナウイルスのまん延は収まらず、10都道府県が緊急事態宣言下にある。医療提供体制は逼迫(ひっぱく)し、経済の停滞で多くの人々の暮らしが困窮している。昨年3月に開催延期を決めた時より状況が悪化しているのは誰の目にも明らかだ。

 それでも政府は予定通り「安心安全」に五輪を実施するという。ならば、どうやってそれを実現するのか、説明してほしい、と私たちは訴え続けてきた。だが、菅義偉首相をはじめとする政府の言葉はあまりに乏しい。

 実際は、ワクチン頼みで、国民を納得させる手だてなどないのではないか、具体的な対策を示さず、引き返せなくなるまでなし崩しに推し進めていくつもりではないか。そんな疑念も拭えない。

 これでは、各種の世論調査が示す通り、東京五輪・パラリンピックの開催に多くの賛同は広がるまい。国民の理解と協力が得られないのであれば、開催中止もしくは再延期すべきである。

 改めて言う。できるものなら、五輪を開催したい。鍛錬を重ねてきた選手たちの成果を見たい。支えてきた人たちの努力もたたえたい。しかし、多くの課題を積み残し、不安や疑問が解消されないまま開催を強行すれば、禍根を残すことになりかねない。

■拭えぬ医療への懸念

 国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ調整委員長は、東京が緊急事態宣言下でも五輪は開催できるとの認識を示した。

 緊急事態宣言は感染者が増え、医療現場が緊迫している非常事態である。感染拡大を防ぐために国民は我慢を求められ、幅広い業種が休業要請の痛みに耐えている。

 コーツ氏の発言は「五輪は特別」と聞こえ、それを容認するIOC、東京五輪・パラの組織委員会、政府、東京都は、どんな状況であっても五輪を強行するという意思表示のように思える。

 世論調査によれば「再延期」や「中止」を求める声が「予定通り開催」を大幅に上回る。五輪を楽しみにしていた人でも、生命や暮らしに不安があってはもろ手を挙げて歓迎できまい。

 菅首相や政府、組織委のリーダーは「安全安心な大会」という決まり文句を繰り返すばかりで、国民の不安や疑問に向き合わない。何度問われても具体的な説明を避ける姿は不誠実だ。

 とりわけ心配なのは医療だ。

 組織委の橋本聖子会長は、大会期間中に必要な医師や看護師の数は発表したが、全員を確保する見通しは立っていない。選手を除き7万8千人の関係者が来日する。どのような体制で感染対策を行うのか、詳しい説明もない。IOCは競技別のテスト大会で問題はなかったとするが、本番と規模が違い過ぎて話にならない。

 地域医療へのしわ寄せも気掛かりだ。選手用の病床提供を求められた東京周辺の県の知事は一様に否定的な見解を示した。それぞれ医療崩壊の危機にさらされている。無理もない反応だ。

 7月の感染状況は予測できないが、ワクチン接種は始まったばかりだ。医療現場は厳しい状況が続くだろう。五輪が医療を圧迫する要因になってはならない。

■開催の理念はどこへ

 そもそも東京五輪・パラリンピックの理念とは何か。

 招致段階から掲げていた「復興五輪」や「コンパクト五輪」はもはや現実と懸け離れてしまった。政府が唱えた「人類がウイルスに打ち勝った証し」も尻すぼみとなり、今では「世界の団結の象徴」に変わってしまった。

 スローガンが上滑りする一方、明確な理念がないまま、なりふり構わず開催する印象が強いのは、日本国民にも各国の選手にも不幸なことだ。ましてや大会放映権料などビジネスの話や、国内の選挙に弾みをつけたいといった政治の思惑がちらつくようでは、国民はしらけるばかりである。

 五輪・パラリンピックはアスリートにとって最高の舞台だ。練習環境に恵まれた国、そうでない国からも選手が集い、同じ場所で競い合う。そこに至る選手たちの物語はスポーツの魅力を伝える。

 ただ、現在の世界各国の感染状況が「公正な大会」の前提となるのか、という視点も大切だ。

 何より開催国・都市の最大の責務は国内外の選手が安心して力を発揮できる環境をつくることだ。それを果たすためには、医療従事者、ボランティアを含む国民の理解と支援が欠かせない。

 IOCのバッハ会長は、コロナ禍では「誰もが犠牲を払わないといけない」と述べた。国民に重い犠牲を強いてまで五輪は開催しなければならないのか、と私たちは問いたい。

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