30年前、なぜそこにいたのか

 1991年6月3日、長崎県島原半島の雲仙・普賢岳で大火砕流が発生し、ふもとの集落を襲った。死者・行方不明者は43人。その中には取材中だった記者やカメラマン計16人、報道機関が雇ったタクシー運転手4人が含まれる。

 私は長崎総局の記者として5月から島原入りしていた。報道関係者らが火砕流に巻き込まれた取材・撮影ポイント、通称「定点」にも何度も足を運んでいた。

 定点は当時、避難勧告地域内にあった。警戒区域のような強制力はないが、専門家の助言に沿って島原市が「危険なので入らないように」と指定していた場所だ。そこへ報道陣が入っていたことが惨事を招いた。

 あれから間もなく30年。なぜ記者たちはそこにいたのか。私の記憶を基に改めて考えた。「災害と安全」に取り組む際、少しでも役に立てば、と思うからだ。...

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