元・島鉄マン見つめた普賢岳 噴火、復興「火山の恵み、魅力は不変」

 長崎県島原半島の雲仙・普賢岳の噴火は、人々の日常を一変させた。半島唯一の鉄道、島原鉄道(島鉄)の運転士だった本多鉄幸さん(61)=島原市=もその一人。車窓から広がる傷ついた地元の姿に言葉を失い、復興の歩みを見つめた。「自然災害がもたらす影響は仕方がない。ただ、島原は観光地。かつてのようなにぎわいが少しでも戻ってきてほしい」

 島原工業高卒業後、島鉄に入社。21歳で運転士になった。当時は諫早駅(諫早市)から半島を時計回りに走り、終点は西部の加津佐駅(旧加津佐町、現南島原市)。雲仙の山々や有明海の眺めを楽しめる総延長78・5キロで、半島東部にさしかかると、「普賢岳の麓に畑の青々とした光景が広がって好きだった」。

 1990年11月、普賢岳から噴煙2本が上がった。翌91年5月から普賢岳東側に土石流や火砕流が発生。6月3日、大火砕流が43人の命を奪った。火砕流は畑や住宅を焼き、土石流の岩や土砂が堆積。「見るも無残な光景だった」

 噴火からの30年は自らの結婚生活と重なる。91年10月、美保子さん(57)と結婚。挙式予定のホテル周辺は同年6月、立ち入りを制限する警戒区域に指定され、営業ができなくなったが、営業再開後の第1号で挙式した。当日は普賢岳に大きな動きはなく、披露宴に約180人が出席した。

 96年には噴火が終息。土石流で線路が埋没するなど被災と復旧を繰り返した島鉄は97年4月、4年ぶりに全線開通し、観光の目玉としてトロッコ列車の運行を始めた。観光客を乗せ、島鉄のカラーである黄色の車体をさっそうと走らせた。

 「活気が戻ってきた」。土石流が起きた水無川に架け替えられた鉄橋から、普賢岳斜面に砂防ダム、麓の住宅地にかさ上げ工事の様子が見えた。有明海側では、土石流の土砂を使った埋め立て地で、観光拠点となる雲仙岳災害記念館やアリーナの計画が進み、復興が着々と進んでいた。

 一方、島鉄は復旧費用がかさんだことや、マイカーの普及、人口減もあり経営が悪化。2007年にはトロッコ列車を終了した。08年、営業区間のほぼ半分を占める半島南部の区間を廃止し、車窓から被災地を見渡すことはできなくなった。18年には自主再建を断念し長崎自動車(長崎市)傘下に入った。

 1990年に約204万人だった島原市の観光客は91年、106万人に半減。その後は緩やかな回復基調にあるが、2019年は約139万人と、噴火前の約7割に落ち込んでいる。

 本多さんは運転士を務めた後、約20年間、車両の保守業務に従事した。正面から見ると三角形のデザインがパンツ模様に見える往年の人気列車「赤パンツ」復刻や社内でスイーツを楽しむ観光列車などに、整備や内装作業で携わった。地域観光に貢献したい-。昨年退職するまで、こうした思いで仕事に向き合った。

 「温泉や湧き水など火山ならではの恵みは不変。魅力を活用して街が盛り上がるとうれしい」 (小川俊一)

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