【格差社会と仮想空間】 平野啓一郎さん

◆現実との関係どう展開

 先頃、刊行した長編小説『本心』では、2040年代の日本を舞台にした。現実的な問題として、私も属するロスジェネ世代が高齢者となり、自分の子の世代が社会の中心で活躍する未来を心配しながら想像しているからだった。

 地球規模の気候変動と日本の少子高齢化は、確実な負の未来予測だが、テクノロジーの進歩や政治・経済の状況に関しては不透明である。しかし、拡大し続ける格差を始めとして、なかなか明るい未来の姿は見えない。

 『本心』では、仮想現実が今以上に生活の中に浸透した世界を描いている。主人公は、母子家庭で育った青年で、母の死後、その悲しみに耐えられず、仮想空間にAI(人工知能)で母親を再現しようと試みる。

 小説の新聞連載中、現実の世界でも、こうしたプロジェクトが進行中であるとの報道があったが、反応には否定的な意見も少なくなかった。そんなのは、本物ではない、と。もちろん、そうなのだが、もう既に本物と会うことが出来ないと分かっているならば、仕方がないのではないか?

    ◆   ◆ 

 誰もが、何らかの欠落や喪失を抱えて生きている。そして、それを埋め合わせる方法を工夫している。表現が不適切ならば、別の生き方を選んでいる、と言うべきだろう。

 例えば、恋愛ゲームにのめり込む、というのは、何となく健康的じゃないと見做(な)されがちで、生身の人間相手でこそ、本当の恋愛だという考えは根強いが、恋愛に憧れながら、自分は現実世界でそのチャンスに恵まれなかった、あるいは苦手だと感じている人が、恋愛ゲームに喜びを感じ、慰めを得ることが責められるわけではない。

 現実の恋愛をつまらなく感じ、ゲームの登場人物にこそ胸がときめく、ということもあるだろう。いずれもゲームのみならず、小説でも映画でも同じであり、そのフィクションが、双方向的になることに、漠然とした社会の不安がある。人間の存在の意味が、相対的に軽減されてしまうと感じるからかもしれない。

 もし、日本の未来があまり明るくないならば、せめて仮想空間では幸福感に浸りたい、そしてもう、フィジカルな辛(つら)い現実には戻りたくないという人も、増えるかもしれない。仮想現実も、ゴーグルが改良されて、長時間滞在が可能となれば、今のネット空間同様、一つの場所としての存在感を強めるだろう。

 社会は現状では、まだ、現実と仮想空間とに価値の序列を設けているが、そうした考えは早晩、批判にさらされるに違いない。とりわけ、フィジカルな現実に満たされた立場から、現実の素晴らしさを説く態度は、傲慢(ごうまん)とも見られるだろう。

    ◆   ◆ 

 しかし、一方でこうも考える。もしそのようにして、社会的な不満が仮想空間で慰められ、現実ではデモも起きないような世の中になれば、格差を維持して富を肥やし続ける人たちにとっては、あまりに好都合だろう。それでいいのか? やはり、フィジカルな世界でも、誰もが十分に満たされるべきだという考えは、維持されねばなるまい。結局のところ、仮想空間も、歴然とした格差社会になってゆく可能性は高い。そうなれば、両者はいや応なく結びついてゆくだろうが。

 さらに矛盾したことを言うようだが、私たちは本当に、生身の人間と仮想空間内のAI人間とを、等価に見做すような思想にたどり着くだろうか? それは人間の死生観も大きく変えることになる。なぜ小説を書くのか、という一つの理由は、こうした複雑な問いを、生きた人間の姿を通じて、具体的に描くことが可能なジャンルだからである。

関連記事

PR

社会 アクセスランキング

PR