【日高逸子物語】小1の夏、母は消えた 父の暴力に「殺される」

「水上のグレートマザー」日高逸子物語(3)

 日高逸子(59)は1961年10月7日、中学教諭の父かおると、保育士の母清美の長女として産声を上げた。3年後の東京五輪に向け、日本は建設ラッシュの好景気だった。

 雄大な霧島連山わにつか山に囲まれた宮崎県都城市。自然豊かなこの地で、一家は幸せな生活を送っていた。

 薫は高校時代に重量挙げで国体に出場したスポーツマンで、よく肩車をしてくれた。清美は端正な顔立ちで料理上手。逸子にとって自慢の両親だった。二つ年上の兄けいも逸子をよくかわいがってくれた。

逸子を抱き、馨也を見守る母。一家は幸せな日々を送っていた

    ■    ■

 しかし4歳になった頃、運命は暗転する。薫がオートバイにはねられ、長期の入院生活で教諭を辞めてしまったのだ。清美は生計を立てるためにささやかな飲食店を始めた。

 退院して家に戻った薫は、まるで別人になっていた。後遺症の頭痛に悩まされて酒をあおり、暴れた。6畳一間の自宅と隣り合わせの店からは、毎晩のように夫婦の応酬が聞こえてきた。

 「うるさい!」

 「やめてっ」

 酒瓶を床にたたきつける音、清美の悲鳴…。逸子と馨也は耳を両手でふさぎ、小さな体を寄せ合った。手を取り合って、何度も親類の家に逃げ込んだ。清美が子どもたちに覆いかぶさって守ることもしょっちゅうだった。

 店は客足が途絶え、家計は火の車。子どもたちの洋服すら買えず、破れると清美が繕っていた。

 恐怖におびえながら2年が過ぎ、逸子が小学校に入学した年。夏休みのある朝、目覚めると清美がいなかった。

 「お母さん、お母さん」

 何度叫んでも返事はない。どこを捜しても見当たらない。

 「このままでは殺される。子どもだけなら夫は暴力を振るわないから、自分さえいなくなれば変わってくれる」

 母がそう考えて失踪したことを、逸子は大人になってから知った。

    ■    ■

 その日、父子3人はJR都城駅から隣町に向かった。途方に暮れた薫は、実家の両親を頼ろうとしたのだった。逸子は列車に揺られながら窓の外を見つめていた。

 「いったい、どこに行くんだろう」

 すると突然、「キー、キー」とレールのきしむ音が響き渡り、列車が止まった。

 外をのぞくと、隣で兄が声を上げた。

 「見るな!」

 だが、遅かった。血まみれになった人が倒れている。列車にひかれたのだろう。6歳の少女にとってはあまりにも残酷な光景だった。

 自分がどこに連れていかれるのかわからない不安と、事故の恐怖。体の震えが止まらなかったことを逸子は今もはっきり覚えている。=敬称略(田中耕)

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