名実ともに福岡を代表 ”三角交換”で生まれた「デラックス」なビル

「天神の過去と今をつなぐ」(3)福岡ビル街区・後編

 福岡都心部で進む大規模な再開発プロジェクト「天神ビッグバン」で更地になった「福岡ビル(福ビル)街区」。前編に続き、後編では福ビル誕生の経緯や入居した名店の特長など、当時の再開発物語を紹介します。

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 土地の三角交換

 福岡ビル誕生のきっかけは、天神2丁目の福岡銀行本店の場所にあった天神市場の大火災だった。1955(昭和30)年8月27日未明に発生し、108店舗のうち66店舗が焼失した。その後、跡地での再建問題が浮上、それが「福岡ビル」(地上8階、地下1階)建設計画だった。

1955年8月27日付、天神市場の火災を伝える本紙朝刊

 市場側はまず「天神町発展会」(We Love 天神協議会の前身)を通じ、福岡政財界への働きかけを急いだ。翌1956(昭和31)年7月、村上巧児(西日本鉄道相談役)を総代とする総勢15人による発起人会を経て「福岡ビル株式会社」が誕生。発起人には、奥村茂敏(福岡市長)や中牟田喜兵衛(岩田屋創業者)、平野貞一(天神町発展会)、吉次鹿蔵(福岡証券取引所)ら地元を代表する面々が名を連ねた。

 同じころ、天神交差点角地の福岡郵便局と福岡銀行所有地(橋口町)を巡っては、敷地交換の話が進んでいた。

 この話を受け、天神町発展会が動く。福ビルを「天神の顔」となるランドマークビルにしようと、天神市場跡地を含む「土地の三角交換」を提案したのだ。

 多くの課題を乗り越え、福ビルは天神交差点角地の福岡郵便局跡地での建設が決定。福岡郵便局は1959(昭和34)年、現在地へ新築移転して「福岡中央郵便局」となり、天神市場跡地は福銀本店の建設予定地となった。

 福銀本店ビルは時を重ねて1975(昭和50)年に完成。それまでは、激増する自動車社会に対応した都心の貴重な駐車場だった。

 デラックスビル

 福ビルは1958(昭和33)年8月に着工。途中、建設費の高騰などで資金不足となり工事が中断したものの、最終的に西鉄グループの資金支援により1961(昭和36)年の暮れ、12月31日に完成した。地上10階、地下3階で、最新設備を完備した威容は当時、「西日本一のデラックスビル」と呼ばれた。

1960(昭和35)年の福岡ビル建設風景。中央左奥が天神ビル。通りをはさんで手前に岩田屋がある

 天神市場跡地を念頭に置いた最初の福ビル構想は、私たちが長年親しんだ福ビルの姿とは異なる。低層階と地下に天神市場の店舗が入り、中層階をオフィス、高層階にホテルを入居させる計画だった。

 さらに、明治通りを挟んで南側にある岩田屋と地下道で結ぶ構想も盛り込まれた。これはのちの「天神地下街構想」の先駆けでもあった。

 土地の三角交換で、福ビルが天神交差点角地に建設される計画に変わっても基本構想は引き継がれた。そこに、天神町発展会の意向で「商談、交流、情報発信」の場となるホールや会議室、地下駐車場などが盛り込まれた。

開業直後の福岡ビル=1962年1月​​​​​​

 福ビルは「明治通り」側の1階に銀行が入り、「渡辺通り」側には商業テナントを配置。実現しなかったが、ヘルスセンターなどの案も出された。

 さらに、西鉄の社長を退任して福ビル社長として建設に専念した木村重吉のアイデアも随所に生かされた。木村は1957(昭和32)年にプロ野球パ・リーグ会長を務めるなど、西鉄ライオンズ
全盛期のオーナーとしても知られる人物である。

 エレベーターホールでは、フロアごとに産地が異なる大理石を使った。屋上ヘリポート構想をぶち上げたのも木村だ。天神から福岡空港への旅客輸送に加え、博多湾の景観を楽しむ観光遊覧飛行案まで持ち上がった。

当初はヘリポートが計画されていた福ビルの屋上。ビアガーデンとして親しまれた=2019年3月

 木村は西鉄社長時代に欧州視察経験があり、国内外のビル先進事例に精通。ヘリポートは試験飛行の段階で周囲の商店街から反対意見が相次いだため頓挫したが、屋上はビアガーデンとして活用されることになった。

 名店ぞろいのテナント

 当初、福ビルの低層階や地下には旧天神市場からのテナントが入居する予定だった。しかし工期が延びたことなどを理由に、最終的な入居者は少数にとどまった。

 テナント構成は再検討された。地下飲食街には福岡魚市場の社長が開店した「海幸」などが入居した。市場直送の鮮魚料理を堪能できる海幸の存在は、出張族を介し、東京や大阪などにも広く知られる存在に。福岡の食文化発信の役割を長く果たした。

福ビル竣工を知らせる本紙全面広告=1962年1月29日付

 同じく地下に出店した「ロイヤル」。調理場スペースの狭さを克服するため、セントラルキッチン方式を導入し、ロイヤルホストなどのレストラン事業につなげて躍進した。

 当時珍しかったハンバーガーショップ「アウトリガー」は、1階の日本楽器(のちヤマハ)とともに、ミュージシャンを目指す福岡の若者たちの聖地といわれた。日本楽器の存在は、音楽教室やコンクールなど音楽を楽しむ文化を育み、1970年代以降に福岡から多くの歌手、ミュージシャンが誕生するきっかけとなった。

 さらに1階には、日本初のドラッグストア方式で「大賀薬局」が入居。文具店の「とうじ」は最新文具を提案して人気を博した。洋菓子に進出し、福ビルでレストランや結婚式場も運営した「風月」などは、いずれも福ビル設立当時の開発コンセプトに賛同し、出資した株主でもあった。

福ビルに入居していた大賀薬局=2019年3月

 ビル完成当初は入居が決まっていなかった2階と3階には、西鉄と岩田屋の共同出資で設立されたインテリアの「NIC」が1966(昭和41)年に開業。「暮らし」をテーマにした総合インテリアショップの誕生は斬新で、国内外に広く影響を与え、NICは西鉄グランドホテルをはじめとする市内各ホテルの内装デザインや施設コンセプトも担当し、存在感を発揮した。

 新旧ビルをつなぐもの

 60年近くに及んだ「福ビル時代」を終え、これから新しく誕生する「新福岡ビル」。そこでは旧ビルの果たしてきた機能や役割が引き継がれ、隣接していた天神コアや天神ビブレの存在感も加味され、感染症対策など現代社会が求める最新の技術が盛り込まれる。

福ビル閉館間際に館内で開かれた「思い出交差点」を見学する人たち=2019年3月

 旧ビル完成直前の1960(昭和35)年。電気ビルの園田耕一が考案し、天神町発展会が発表した「天神町の未来図」が興味深い。

 当時は西鉄による福岡市内線の路面電車が天神交差点を行き交い、すぐそばでは福岡駅の高架化工事も進んでいた。自動車時代の到来を見据えた階層式の道路や歩道計画、公共空間の工夫も面白いが、西鉄商店街(のち天神コア)と因幡町商店街(のち天神ビブレなど)の再開発ビル構想が特に斬新だ。

1960年に天神町発展会が発表した「天神町の未来図」

 商業ビルの階上に「子供博物館」や遊園地を配置。ビル街を一望できる屋上展望台はなんと「福岡タワー」の名前が付けられていた。新時代に求められるビル構想は、既成概念に縛られない自由な発想だ-と、60年後の私たちに教えてくれているようである。

 「天神町の未来図」で提言されたのは回遊性の高い歩道や街路緑化、連絡通路の発想。それはその後のビル開発や地下街通路構想に大きな着眼点を与えたであろうことは、想像に難くない。

 今なお残る「天神町」

 余談だが、福ビルが誕生した1960年代には、郵便番号制度の導入を前提に、全国で旧町名を廃して統一する「町界町名整理」が進められた。福岡市では道路割制度が導入され、道路を境界とした町名整理が行われた。天神地区では20あまりの町名が、天神1~5丁目に統一された。

 消滅した福岡市内の旧町名はビル名や公園名などに名残がある。「天神」の地名は旧町名である「天神町」から引き継がれているが、現在その名残をとどめるのは福銀の「天神町支店」だけである。

 もともと天神町支店は、明治通り沿いの天神市場に隣接する一角にあった。福銀本店完成後、支店が現在地へ移された際も支店名はそのまま継承。土地の三角交換に賛同し、福ビル誕生に大きな役割を果たした福銀が、今もなお「天神町」という旧店名を守っていることに私はうれしさを感じている。(敬称略)

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 益田啓一郎(ますだ・けいいちろう) 1966年大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、社史・地域史の執筆、編集に携わりながら10万点超の古写真と絵はがきを収集してきた。近年では西日本鉄道(福岡市)創立110周年史の執筆、「にしてつWebミュージアム」を監修してきた。博多・冷泉地区まちづくり戦後史、博多祇園山笠「西流五十周年史」など、地域の近現代史の記録活動も継続。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」や、地元テレビ局、映画、舞台などの時代考証や企画、監修も担ってきた。著書に「ふくおか絵葉書浪漫」「伝説の西鉄ライオンズ」など。

閉館間際の福ビルの階段室を検証する益田啓一郎さん=2019年3月

 次世代の姿へ生まれ変わりつつある福岡市の中心部、天神地区。新たな都市空間と雇用を生み出す福岡市の「天神ビッグバン」プロジェクトがきっかけです。福岡をはじめ九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集し、その近現代史を研究し続けているアーキビストの益田啓一郎さん(54)=福岡市=が、再開発エリアの過去と今をつなぐ歴史解説へ、皆さんをご案内します。 ※アーキビスト(Archivist)=文化、産業的な価値ある資料を集め、それらを意義付けしながら活用する人材。

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