「備蓄米が底突く」ミャンマーの運営孤児院から悲痛な叫び

 「近くの学校が爆破されました」―。国軍によるクーデターから4カ月も混乱が続くミャンマー。最大都市ヤンゴンで孤児院などを支援する福岡市の瀧野隆さん(78)の元には、窮状を訴えるメッセージが絶えない。新型コロナウイルスの感染拡大で一時帰国中に起こった政情不安にもどかしさを抱えつつ、現地にエールを送り続ける。「生きて、また会おう」と。

 瀧野さんが運営に関わる孤児院は、貧困などを理由に親に捨てられた2~16歳の200人が暮らす。食事は子どもたちが地域を回って寄付を呼び掛けてきたが、クーデター後の厳戒下、自由に外出できなくなった。わずかな米と野菜でしのいでいるものの「備蓄米があと2カ月で底を突く」という。

 2010年に小学校、11年に日本語学校を造り、教壇にも立ってきた。連絡を取り合う同僚や教え子から、5月中旬に「銃撃を受け、重傷の職員がいます」と報告を受けた。「買い物に出ていた母子の母親に流れ弾が当たり、亡くなったのを見た」「爆破事件の犯人と間違われた男性がわが子の前で射殺された」など、生々しい写真も届く。「みんなを守る壁になりたい」と願うが、今は戻るすべがない。

 瀧野さんは高校教諭を退職後、塾や予備校を経営。07年、福岡ライオンズクラブ会長だった関係で初めてミャンマーを訪れた。軍事政権下で経済発展は進まず、子を捨てる親は少なくなかった。子どもを狙った人身売買も横行していた。「戦後すぐの日本のようだった」と振り返る。

 年数回渡航し、集めた寄付金を届けた。ある日、感染症と栄養失調で痩せ細った2歳の男児に出会った。帰ろうとした時に「行かないで」と泣きながらすがる手を、「また来るよ」とほどいた。その夜、宿泊先で男児の訃報を聞いた。「もう少しそばにいてあげたら」。後悔と自分への怒りがこみ上げた。「お金と物を渡すだけでは自己満足じゃないか」

 11年に事業を畳み、ヤンゴンに移り住んだ。孤児院のほか、17歳以上を対象に職業訓練にも取り組み、国の発展に貢献する人材を育ててきたつもりだ。昨春の帰国前は笑顔を見せていた子どもや若者の多くが学校にも通えていないと聞き、悔しさが募る。

 3月、長年活動を支援してくれる知人から、福岡市博多区の商店街「吉塚市場リトルアジアマーケット」のお堂の「堂守」を任された。ミャンマーの釈迦(しゃか)像が安置され、周辺に住むミャンマー人が集まる。母国で起業を志す20代の男性は「このままでは夢の実現が難しい」と吐露した。

 「大丈夫。今の困難を乗り越えたら、きっと素晴らしい国になる。その時に君のような若い力が必要なんだ」。瀧野さんは現地にも届くよう、力を込めた。 (井崎圭)

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