ミャンマーの青年、喜べない日本留学「みんなが命懸けで闘っているのに」

 ミャンマー国軍によるクーデターから4カ月が過ぎた今月初め、1人のミャンマー人男性が最大都市ヤンゴンから日本へたどり着いた。20代のナインさん=仮名。念願だった留学のためだが、成田空港に降り立った瞬間、こみ上げてきた思いは高揚感ではなく、後ろめたさだった。「多くの国民が国軍と闘っている今、自分は国を離れてしまった」 

 ナインさんは昨年5月ごろ、目標だった日本への留学を申し込んだ。ミャンマーで現地メディアの取材手伝いをしながら日本語の勉強を続けた。それが今年2月1日、国軍のクーデターによって一変した。

 抗議デモが激化し、当局の銃撃で死傷者が増える中、カメラを手に現場に向かい、撮影を続けた。顔見知りの政党関係者や記者は次々と拘束された。邦人ジャーナリスト北角(きたずみ)裕樹さんもその一人だ。「自分も拘束されるかもしれない」。何度か自宅を離れ、知人宅で過ごした。会員制交流サイト(SNS)のアカウントも削除した。

 そんな中、留学を認める知らせが届いた。「周りのみんなが命懸けで闘っているのに」。素直に喜べなかった。体が小さく気弱だった年下の友人から、国軍に抵抗するため山奥にある少数民族武装勢力の拠点で軍事訓練を受けている写真が送られてきた。ナインさんは当局の取り締まりで、次第にカメラを持ち歩くことさえできなくなっていた。

 留学するかどうか決めきれない中、背中を押したのが「あなたの夢を実現すべきだ」「日本の人たちにミャンマーのことを伝えて」という両親や友人の言葉だった。「ミャンマーで闘っている人たちと気持ちは同じ。今自分ができることをやろう」。悩んだ末に日本行きを決めた。

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 現在、新型コロナウイルス対策のためホテルで隔離中。安全な場所なのに、ぐっすり眠れない。

 当局は5月、航空各社に搭乗客のパスポート情報や電話番号、メールアドレスを事前報告するよう命じていた。出発当日のヤンゴン国際空港に向かう途中や、空港での出国審査時だけでなく、成田空港に着いてもまだ「拘束されるかもしれない」とおびえた。数日たった今も恐怖は消えず、悪夢を見る。

 それでも日本人の知人らが自分のことのように来日を喜んでくれた。同世代の日本人学生がクーデターや弾圧に抗議するデモを行っていることを知り、感激した。ただ、欧米のような制裁措置に踏み込まない日本政府や、ビジネス関係を維持する日本企業については「もっとプレッシャーをかけてほしいが、言いにくい」と言葉を濁した。

 数年の留学中、日本語とともに映像技術を学ぶ。将来の目標は映像制作に関わること。自治拡大を求めて国軍と長年戦闘が続く少数民族勢力や、アウン・サン・スー・チー政権下で悪化したイスラム教徒少数民族ロヒンギャの難民問題についてドキュメンタリーを作るのが夢だ。

 だが、軍政の既成事実化と厳しいメディア統制が進む現状を考えると「いつ実現できるか正直見通せない」。留学中、素性を明かして目立った国軍批判を続ければ当局にマークされ、ミャンマーにいる家族や知人に影響が及ぶ恐れもある。

 半世紀続いた旧軍政下、弾圧を避けるため日本など海外に逃れ、そのまま永住したミャンマー人は多い。だが、ナインさんは固く決めている。「自分は日本に逃げてきたわけでも、安全やお金を求めて来たわけでもない。いつか絶対にミャンマーに戻る」

(バンコク川合秀紀)

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