3年で教職生活ピリオド「レッテル張られるのが怖かった」

復刻連載・冷めた視線-学級崩壊の現場から<3>

 「同僚の目ばかり気にして、問題を1人で抱え込んでしまって…」

 元中学校教師の近藤平さんに会ったのは、1月中旬の日曜日だった。福岡市内のファミリーレストラン。教師になって2年目で、初めて担任として受け持った1年生のクラスで「学級崩壊」に直面、教師として自信を失い、わずか3年で教職生活に自らピリオドを打った近藤さんは「レッテルを張られるのが怖かった」と、静かな口調で振り返った。

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 小学校から入学してきたばかりの子どもたちは、最初は従順だった。きちっと前を向き、近藤先生の話に耳を澄ました。

 ところが、態度が1カ月もたたないうちに変わった。「1人の子に構っていると、ほかの子が目に入らない。宿題をきっちりやって持ってきたのに『あとで見るから』と言ってしまい、そんなことの繰り返しで信用を失ってしまった」

 ほかの先生の授業のときは静かでも、自分の授業になると、途端に騒がしくなる。うまくいかない指導にいらだち、生徒を必要以上にしかったこともあった。手を上げたことも…。

 そんな不条理を感じ取った生徒の反発もエスカレートし、反対に殴りかかられたこともあった。「先生やめますか、人間やめますか」と殴り書きされた紙切れを教卓に見つけたときはショックだった。

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 同僚に相談すべきかどうか迷った。ベテランとは悩みのレベルが違いすぎ、質問するのも恥ずかしい。かといって同世代となると、お互いに経験不足。1人で右往左往しているうちに、教室の「荒れ」は職員室中に知れわたった。

 「教職に就いたばかりで、一日も早く周囲に認められたい、という思いばかりが頭にあった。本当は子どものことを第一に考えるべきだったのに…」

 1年後、校長に辞表を出した。慰留はなかった。十数年前の話だ。「あれは学級崩壊だった。当時、そんな言葉はなかったが、あの苦しみ、あせりはきのうのことのように覚えている。今の先生たちの気持ちもよく分かる」。40歳の近藤さんは、恥じらうような笑みをみせた。

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 小学校で6年A組を受け持つ倉橋一郎先生は今、「荒れ」を1人で抱え込んでいる。「同僚に頼りたくない」との気持ちは、ある出来事で一層固まった。

 昨年6月の昼休み、A組のタカシが、隣のB組の友達を訪ねたときのことだ。たまたま居合わせたB組担任の女性教師が、タカシに鋭い視線を向けた。

 「あなた、隣のクラスの子ね。勝手によその教室に入ってきて。名前を言いなさい」。教師はタカシを教室の前に立たせた。言われるがままに名乗ったが、心の中では「なんでこんなに怒られないといけないんだろう」と不満に思った。

 タカシの不満は、タカシの母親から校長を通じて倉橋先生の耳に入った。

 女性教師が校長に語った「A組は荒れているので、何とか立ち直ってもらおうと、つい厳しく接してしまった」との言葉も…。

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 A組は男子を中心に離席やざわめきが絶えない「学級崩壊」に陥って数カ月が過ぎていた。職員室でも話題に上り、対策が話し合われた。「複数の教師で指導しないと収まらない」との意見が大勢を占めた。校長は「保護者から学習の遅れを心配する声が出ている。このままの状態が続けば、もう1人、教師を入れざるを得ない」と通告した。

 だが、倉橋先生は複数教師による指導を拒んだ。「一つのクラスだけ特別な指導態勢をとると、子どもたちが不安がる。ほかのクラスの子からバカにされるかもしれない」との思いがあったからだ。

 タカシの“事件”は直後に起きた。「もし自分が彼女の立場だったら、同じように言ったかもしれない。だれだって自分のクラスは巻き込まれたくないと思うでしょう」。倉橋先生の声がとがった。3学期が始まってもクラスの状況は変わらない。それでも彼は「最後まで1人で頑張りたい」と主張している。

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 「学級崩壊」で悩む教師を周囲がどうサポートするか。教師のプライド、教師同士の人間関係も絡むだけに、問題は単純ではない。

 「一度の失敗が一生つきまとう世界ですから。指導力不足というレッテルは致命傷。でも若い先生には、私のような失敗をしてほしくない」。近藤さんは、こう語るとファミリーレストランの席を立った。

 「それでも、教師は素晴らしい職業」と言い切る近藤さんは今春、県外の短大の助教授になる。(文中仮名)

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 ◆1990年代後半から問題になった「学級崩壊」。あれから20年余り、教育現場はどう変わったのか、変わっていないのか。当時の連載を読み返し、教育の今を考えるヒントにしてみませんか。

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