「親が何を言っても、どうせ」無力感持った2つの理由

復刻連載・冷めた視線-学級崩壊の現場から<5>

 「子どもにとってかけがえのない時間がどんどん過ぎていく。『頑張ります』だけじゃ解決しない」。ヨシキのお母さんは、その日あった小学校の保護者会を思い返して涙を浮かべた。

 1月下旬の土曜日の放課後。6年A組はしーんと静まり返っていた。連載の3回目で取り上げた倉橋一郎先生のクラスの保護者会が開かれていた。

 この日は午前中に授業参観があり、30人近い父母が顔を見せた。だが、昼食をはさんでの同会に残ったのは母親5人と父親1人だけだった。

 倉橋先生が「私が至らないばかりにいろいろありました。でも卒業までには、子どもたちに『このクラスでよかった』と思ってもらえるように頑張ります」とあいさつした。

 クラスは、5年生の後半から授業が成り立たない「学級崩壊」に陥っている。

 しかし、その後だれも口を開こうとしない。重い沈黙が続く中、ヨシキのお母さんは心の中でつぶやいた。

 「先生はいつも『頑張ります』だ。親が何を言っても、どうせ学校は変わらない」

   ×   ×

 お母さんが「どうせ…」という無力感を持ったのには、二つの理由があった。

 一つは、担任を含めた学校側の対応。ヨシキが自宅で「このままじゃ、勉強が遅れてしまう」と不安げに話す姿に「子どもの心が傷ついている」と感じ、昨年の2学期から、何度か同じ思いを持つ親たちと学校に掛け合った。

 ところが、担任は「頑張りますから見守っていてください」の一点張り。教頭からは「エスケープ(教室から逃げ出すこと)する子がいないだけましですよ」「保護者の力を借りなくても大丈夫」と言われた。校長も「状況は把握してますが、他校でもあることなので」と煮え切らない。

 「学校はどうして危機感を持って素早く対応してくれないの」。お母さんは「悔しい」を繰り返した。

   ×   ×

 もう一つの理由は、親たちの温度差だった。

 「学級崩壊」を保護者会の場に初めて持ち込んだのは、昨秋のこと。児童は30人以上いるにもかかわらず、呼びかけで集まったのは12、13人。ほとんどの親は、その席で初めてクラスの実情を知った。

 ある母親は「自分の子どものころ、学校は“絶対”の存在だった。娘から話は聞いていたが、本気にしていなかった」と明かす。

 続けて保護者だけで対策を話し合った。このときは30人近くが出席した。「そんな状態が続けば、子どものためにならない」「学校や担任がしっかり対応すべきだ」との不満の声が相次いだ。

 ところが、「この不満をぶつけよう」と息巻いて臨んだ学校側との話し合いの席になると、ほとんどの親は黙り込んだ。出席者も保護者会の半数で、意見を言ったのはヨシキのお母さんら3、4人だけだった。

 「学級崩壊」は、一面では「子どもは自由を手にしている」といえる。だから子どもによっては「学校は楽しい」場となる。その子の言葉を真に受けて、現状に気付かない親も多い。

 勉強が遅れても「塾に行かせてるから心配ない」と無関心な親もいる。

   ×   ×

 「親の危機感が一つにならない。教室の崩壊は今も続いているというのに…」

 そう嘆くヨシキのお母さんにも、収穫はあった。

 ヨシキはクラスが荒れて以来、家では宿題もせず、投げやりな態度が目立っていた。いら立っているのがよく分かった。ところが、母親が学級崩壊をなんとかしようと、学校に出向くようになってから、態度が変わった。

 「学校を共通の話題にしてコミュニケーションがとれるようになった。苦しさを分かち合うことで、少しずつ心が打ち解けあうようになった気がする」

 時々だが、ヨシキが教室での出来事を話してくれるようになった。

 「いろんな考え方の親がいる。これをいきなりひとまとめに、というのが無理な話なのかもしれない。自分自身が毅然とした態度で学校と向き合い、子どもと一緒に育っていくしかない。それが学級崩壊で学んだことかな」

 「やはり黙っているだけではだめ。今度は思ったことを先生に言おう」。また力がわいてきた。(文中仮名)

   ◇   ◇

 ◆1990年代後半から問題になった「学級崩壊」。あれから20年余り、教育現場はどう変わったのか、変わっていないのか。当時の連載を読み返し、教育の今を考えるヒントにしてみませんか。

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