塀の外に自由はなかった。元患者を待っていた差別の村

塀のない隔離 韓国ハンセン病政策の影㊤

 ハンセン病元患者に対する日本政府の隔離政策を憲法違反と断じた2001年の熊本地裁判決から20年。裁判闘争を経て、日本統治時代に強制隔離された朝鮮半島の元患者や家族にも救済の道が開かれたが、韓国にはなお差別と偏見に苦しむ人々が暮らす集落がある。現地を訪ねた。

 朽ちかけた鶏舎のすえた臭いが集落に漂う。韓国中部の世宗市郊外にある忠光地区。ハンセン病の元患者と家族が1960年代、南西部全羅南道の小鹿島(ソロクト)にある隔離施設などから集団で移り住んだ集落だ。山あいの斜面に点在する住家も老朽化が目立つ。

 約30世帯の平均年齢は80歳を超す。集落は日中も人の気配がない。ようやく探し当てた住民代表の男性は「取材は勘弁してほしい。人々の心にハンセン病の村という記憶をよみがえらせたくない」と声を潜めた。

 朝鮮半島における元ハンセン病患者の隔離政策は、日本統治時代の35年に本格化した。日本が96年まで隔離を続けたのに対し、韓国は63年に政策を転換。当時の朴正熙(パクチョンヒ)政権は、辺境の地で元患者らを畜産や農業に従事させる「定着村」事業を進めた。忠光地区も約90カ所ある定着村の一つだ。

 事業の目的は、元患者らの自由な生活と自活の実現。しかし、内実は朝鮮戦争のあおりで国家財政が困窮し、隔離に伴う衣食住の費用を削る窮余の策だったとされる。

 塀に囲まれた隔離施設から解放された元患者たちを、差別という新たな試練が待っていた。近隣住民らによる元患者や家族への暴力、住家の破壊のほか、住民の虚偽通報で元患者が逮捕される冤罪(えんざい)事件も各地で起きた。医学的根拠のない「恐ろしい感染症」との偏見が社会にはびこっていた。

 ソウル中心部から電車で北へ約1時間の京畿道楊州市の定着村も、34世帯のほとんどが高齢の独居世帯だった。「親兄弟がいる故郷に戻れず、世間から隔離された定着村で暮らすしかなかった」。元患者たちは、自由とは名ばかりだった日々の記憶を語りだした。

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