いつも一緒だった妻、生死分けた2メートル 悲しさに耐え「生きる」

 熊本県芦北町伏木氏(ふしき)の農業矢野解光(ときみつ)さん(74)は1年前、豪雨で崩れた土砂によって最愛の妻まさ子さん=当時(67)=を失った。自身は間一髪で命拾いし、むなしさと悲しみに耐えながら、農作業に汗を流す。4日朝、自宅跡であった住民主催の慰霊行事に姿を見せた矢野さん。「家内の分まで生きる」。そう誓った。

 昨年7月4日午前6時半前。大雨が降り続き、まさ子さんに「避難すっぞ」と声を掛けた瞬間だった。「ドーン」。地震のような衝撃。川と道路を隔てて約15メートル離れた自宅裏手の竹林が崩れ、崩落防止のコンクリート壁を壊し、自宅を押しつぶした。

 矢野さんは流れ込んできた川の水にのみ込まれた。頭上2メートルほどまであった水は2、3秒で引いたが、大量の泥水を飲み「死を覚悟した」。何とか自力で脱出。2メートル後ろにいたはずのまさ子さんの姿は、家の下敷きになって見えなかった。

 意識がもうろうとする中、駆け付けた近くの住民の家へ逃れた。道路の崩落や土砂崩れで孤立した集落にヘリコプターが到着したのは午後5時半。一命を取り留めたが、まさ子さんは翌5日夕、現場で見つかった。

 ともに山間部の伏木氏地区で生まれ育った幼なじみの2人。結婚してから半世紀近く。農作業も一緒で「一心同体だった」。まさ子さんの体調は良く、まだまだ2人で一緒に暮らそうと思っていただけに「なんで俺だけ助かったんやろうか」と自責の念さえ抱いた。

 あの時、早く避難していれば-。矢野さんは判断が遅れた理由の一つを、土砂対策のコンクリート壁への過信だと考える。「もし崩れても、土砂は家まで届かないだろうと思い込んでいた」。「絶対」はないのだと、改めて気付かされた。

 今年1月、天皇、皇后両陛下が県南部の豪雨被災者をオンラインで見舞われた。矢野さんも心労を気遣う言葉を掛けられた。「家内の分まで長生きしようと前向きになれるきっかけになった」と言う。

 現在、町内の長男宅に身を寄せる。農業用倉庫を新築し、農機具も買い替えた。5月中旬には田植えを終え、水の管理などでほぼ毎日水田に通う。1人の作業には、まだ慣れない。「まだそこにいるような気がしてね」。まさ子さんの面影を、心の支えにしている。 (村田直隆)

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