熊本豪雨追悼式遺族代表の言葉

人吉市 西村直美さん

 令和2年7月豪雨災害の発生から早くも1年となる本日、遺族を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 私の両親は、1年前の今日、令和2年7月4日に帰らぬ人となりました。父・西橋欽一享年85歳、母・西橋恵美子享年82歳でした。当たり前に故郷にいるはずの2人が居ないということが今でも信じられない気持ちでいっぱいです。

 私は、両親の下3人姉妹の次女として生まれ、18歳までこの人吉市で育ちました。教職を目指して福岡北九州に進学してからは、人吉は心安らぐ両親の待つ故郷となりました。北九州市で結婚してからは、孫の成長を見てもらおうと休みのたびに帰省をしました。両親は、孫の成長を何よりも喜んでくれていました。

 しかし、そんな幸せな日々は永くは続きませんでした。新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言の発令により一転し、両親とは会いたくても会えない状況となりました。高齢の2人にとって、この期間は父の脳梗塞と母の認知症が進行し生死に関わるほどのつらい期間となりました。宣言が解除された6月ごろからは、母は「直美、悲しくないのに涙が止まらん」と娘の私たちに頻繁に泣きながら電話で訴えてくるようになりました。私は、電話をもらうたびに父と母が心配で、心配で居ても立ってもいられず、7月4日に帰る約束をしました。そして7月4日前日の夜に、帰省を待ちわびる父と母から「直美、あんた帰ってこんのね」と電話がかかってきました。これが父と母と交わした最後の電話でした。父と母は、娘と孫の帰りを本当に待っていたのだと思います。

 そしてあの日、7月4日の早朝、夜中から降り続く豪雨で球磨川が氾濫し堤防を越え、ものすごい速さで人吉の町をのみ込み、一瞬にしてドロドロの泥水とがれきの山に変えていきました。球磨川からあふれ出た水が自宅に押し寄せる中、お隣の奥さんが両親の元に「一緒に避難しよう」と誘いに来てくださったそうです。でも、奥さんからの何度もの呼びかけにも母は、「大丈夫だから」と避難の支援を断ってしまったのです。どうしても娘や孫に会いたいと、帰りを自宅で待っていたのだと思います。泥水は、あっという間に自宅をのみ込み1階を泥水で満タンにし、2階の床下すぐ下まで水が押し寄せていました。濁流で1階の扉がはずれ、階段に上る道をふさぎました。そして父と母は、水が引いた次の日の朝、1階のリビングで寄り添うように亡くなっていました。

 前日からの通行止めが解除され、やっと人吉に駆け付けることができた私たち家族は、道路が寸断され、車がひっくり返り、橋げたが落ち、がれきと茶色い泥水でドロドロになり変わり果てた故郷を目の当たりにしました。私は、あまりのすごさに声を失いました。さらに倒壊した自宅を見た時は、「もっと早く、帰ってあげればよかった」と何度も後悔しました。

 それから2週間は、避難所で生活をしながら壊れてぐちゃぐちゃになった自宅の片付けを家族みんなでしていきました。私が生まれ育った家、孫たちにとっても、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんが笑顔で待ってくれている思い出の家です。「両親が悲しまないように」と必死に片付けていた時、これまで両親を支えてきてくださった方々が「大丈夫ね?」と悲しみに沈む私たち家族を何度も励ましてくれました。

 振り返れば、被災後の混乱の中で、どれだけたくさんの人に励まされたことか。本当にいろいろな形で私は支えてもらいました。

 そして、私は残されたものとして、しっかり伝えていかなければならないと強く思いました。それは「命さえあれば、未来は拓(ひら)ける」ということを。

 私は、子どもたちの教育に携わる教師として災害によって同じ悲しみを子どもたちに負わせてはなりません。かけがえのない命の尊さを伝えていかなくてはいけません。「どんなことがあっても自分の命を守ることを第一に考えて行動すること」そして「その命は、自分だけのものでなく、自分を支える多くの人たちにとっても大事な命であること」を。「命さえあれば、未来は切り拓くことができる」ということを私は伝えていきます。また、「人間は弱く、自然災害には打ち勝つことは大変難しいですが、人間には困難を乗り越え、よりよく生きようとする強さと気高さがある」ということを伝えていきたいと思います。私は、両親も故郷人吉の家も失いましたが、私は、決して諦めません。この町の皆さんと一緒に、災害が起きる前のような、人も自然も豊かで美しい人吉・球磨の町を復興させていきます。

 改めて、懸命に救助活動にあたってくださった皆さま、被災者の支援と復旧・復興を応援してくださった全ての皆さまに心から感謝申し上げます。

 最後に今回の豪雨で亡くなられた全ての方々のみ霊の平穏を心から願うとともに新型コロナウイルス感染症が一日も早く終息し、再び世界中の人々の元に穏やかな日常が戻ってくることを切に願い、遺族代表の言葉と致します。

 令和3年7月4日

 遺族代表 西村直美

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