天ケ瀬の旅館、進むために壊した“わが家”に「ありがとう」

 あの日から間もなく1年。昨年7月の豪雨で被災した大分県日田市天瀬町の天ケ瀬温泉街にある老舗旅館「日田屋」は、築100年を超える建物の解体を終え、再開の時を待つ。おかみの佐藤美香さん(57)は、外壁が壊され、さら地になるまでをスマートフォンで撮影。3世代6人が暮らし、懸命に働いてきた“わが家”の最後を見守った。「寂しさはあるけど、前を向くために」

 昨年7月7日。記録的豪雨で玖珠川が氾濫し、3階建て旅館の1階に濁流が流れ込んだ。家族は2階に避難したが、なすすべなくフロントや調理場、家族が暮らす居間が泥に埋まった。休業に追い込まれ、家族は約5キロ離れた仮住まいの公営住宅に引っ越した。

 歴史ある建物は改修も難しく、一時は廃業を考えるなど、ふさぐ日々が続いた。昨年10月、ようやく費用のめどが立ち、再建を決めた。6歳と4歳の孫は「ここが好き。また住みたい」とぐずった。昭和初期の開業から建て増しを続けてきた建物は迷路のようで、孫たちにとっては楽しい遊び場だった。

 復興工事の需要の高まりで業者の予定が立たず、解体が始まったのは6月6日。その前日、息子家族に「落書きしていいよ」と伝えると、孫たちは白壁にクレヨンで怪獣の絵を描き、拙い文字で家族全員の名前を書いた。「ありがとう」の文字も添えられていた。

 はっとした。「寂しい気持ちばかりだったけど、建物に感謝しないとね」。結婚して日田屋の一員になって27年。全ての部屋の隅々まで知り尽くし、休む間もなく駆け回った。自らの半生が刻まれていた。

 6月中旬、「日田屋」の屋号が入った外壁を、重機がバリバリと壊していく。佐藤さんは目をそらさず、スマホを向けた。「これまで通りの温かな旅館として、必ず生まれ変わる」。再開予定は来年1月。佐藤さんは孫たちと真新しい建物で客をもてなす日々を心待ちにしている。

 (鬼塚淳乃介)

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