「ナノミ」の名木とイムズ 福岡を“脱皮”させたパワースポット

「天神の過去と今をつなぐ」(5)イムズとその周辺

 8月末、福岡市・天神の複合商業施設「イムズ」が、再開発に伴って閉館します。アーキビストの益田啓一郎さんにとっても、人生を変えた思い出の場所。このエリアの歴史をさかのぼると、約100年にわたり、天神発展の重要地だったことが見えてくるそうです。

   ◆    ◆

 盛り上がりすぎた「共進会」

 イムズの南側にある天神ツインビルの敷地は藩政時代、福岡城下を東西に貫く肥前堀(中堀の東側)だった。1909(明治42)年、約10ヘクタールにわたって埋め立てられた。

第13回「九州沖縄八県連合共進会」開催時に発行された「福岡市全図」の天神地区

 この埋め立て地一帯で1910(明治43)年春、地方博覧会である第13回「九州沖縄八県連合共進会」が開かれた。開催に合わせて、現在の「明治通り」が整備され、路面電車が開通。福岡市の近代化の起点となる重要なイベントだった。

第13回「九州沖縄八県連合共進会」の会場配置図。南が上で、画像中央部付近にある因幡町東門付近がイムズの場所

 当時の写真を見ると、大規模なパビリオンが立ち並ぶ大きな催しだったことが伝わってくる。明治に入り、九州各県持ち回りで開催されていた共進会だが、この13回目があまりに盛況で、他県が次回開催地の受け入れをためらうほどだったとされる。

九州沖縄八県連合共進会の会場

 それまで、福岡市の評価は熊本市や長崎市に劣っていた。共進会はそれを覆し、福岡市が九州の主要都市となる足掛かりとなった。現在のイムズの区画は、共進会会場の北端。因幡町東門や福岡市売店があったところだ。

 共進会の後、会場跡地には公的機関が次々に整備される。1910年11月には、イムズの場所に福岡郵便貯金支局(のちに福岡為替貯金支局と改称)が開局。ツインビルの場所には、政府の商工省中央度量衡検定所福岡支所が開所した。

左=福岡為替為替支局、右=中央度量衡検定所福岡支所(ともに1916年)

 中央度量衝検定所の北側、つまり今の天神ツインビル北側の歩道付近には、1988(昭和63)年まで、1本のクロガネモチの老木があった。

 藩政時代、肥前堀の土手だった頃からある樹木で、堀の名残をとどめ「検定所横のナノミ」として有名だったという。クロガネモチの赤い実は、福岡地方では「ナノミ」と呼ばれた。大正期に入り、周辺に市役所や警察署などが立ち並ぶようになっても、この老木は目立つ存在だったのであろう。

大正初期の天神(因幡町)福岡警察署横のクロガネモチの木、その右側は度量衡検定所

 戦後復興と「てんじんファイブ」

 1945(昭和20)年6月の福岡大空襲などで福岡為替貯金支局などの一部は被災。本館などは1954(昭和29)年に改築された。

 同支局は1973(昭和48)年、大名2丁目(現・ゆうちょ銀行福岡貯金事務センター)へ新築移転した。

 移転話が出始めた1971(昭和46)年5月27日未明、この土地の運命を変える事件が起こる。福岡市で戦後最大級の火災。現場は為替貯金支局と道路を挟んだ北側にある因幡町商店街と西鉄街。約30店舗が全半焼し、隣接する福岡ビルにも飛び火する大惨事だった。

焼け落ちた因幡町商店街の焼け跡では出火後、5時間経てもなおくすぶり続けた。 1971年5月27日

 火災を機に、因幡町商店街と西鉄街は、耐火構造のビル化を進めることに。1976(昭和51)年の天神第1名店ビル(のち天神ビブレ)と天神コアの開業へとつながった。

 因幡町商店街東ブロックや、それに隣接する福神街(食堂街)のビル建設も、少し遅れて始動。1979(昭和54)年に天神東急プラザ(のちにジュンク堂書店などが入った「メディアモール天神(MMT)」)や、福神街ビル(現在建設中の天神ビジネスセンタービルの一角)が完成した。

 ビル建設の最大の課題は、工事期間中の仮店舗の確保。当時、すでに天神地区に空き地はなく、隣接地だった為替貯金支局跡地に白羽の矢が立つ。そうしてビル建設着工に合わせて1974(昭和49)年4月3日、仮店舗「てんじんファイブ」が為替貯金支局跡地に開業した。

オープンしたてんじんファイブ=1974年4月

 鉄骨2階(一部3階)建て、総工費4億円をかけた建物には因幡町商店街、西鉄街、銀座通り、福神街から約60店が入居。冷暖房、エレベーターなどを完備し、仮店舗ながら当時最新の商業施設だった。

 施設名の「ファイブ」は、因幡町商店街の東・西を二つと数え、五つの施設が力を合わせるという意味が込められていた。

 時は1970年代前半。テレビでは、それまで人気を博していた「御三家」などの3人組から「フィンガー5」「ザ・ドリフターズ」などの5人組に脚光が当たり始めていた。とはいえ子ども向け番組に5人戦隊の「ゴレンジャー」などが登場するのはまだ先。名称も流行を先取りしていた「てんじんファイブ」は、仮店舗として短命ではあったが大きな存在感を示した。ナノミの木も、そのにぎわいを見守っていた。

ガードレールで保護されたナノミの木=1977年4月

 イムズ開業と消えたナノミ

 1989(平成元)年のイムズ誕生には今の福岡市庁舎が関係してくる。敷地はもともと市の所有地。1985(昭60)年10月、てんじんファイブ跡地の利用計画は、新庁舎の建設資金を確保するため、コンペティション形式で公募された。

1985年の天神

 すでに九州随一の繁華街だった天神に残る「最後の一等地」。加えて公募価格が時価相場の半値だったことから、コンペは全国から大きな注目を浴びた。

 都市発展に寄与する開発プランは、地場・中央合わせて7グループが提出。1986(昭和61)年3月には明治生命・三菱地所連合に決定された。

 イムズ開業当時、私は20代前半。初めて訪れた際の衝撃と感動は、30年が過ぎた今でもなお鮮明である。開業当初、いくつかのイベントに関わる機会もあり、のちに私が転職するゼンリングループ主催の「オリジナル地図コンクール」作品展も開かれ、大いに刺激を受けた。アップル社製のパソコン「マッキントッシュ」に初めて触れたのも、演劇ファンになるきっかけも、イムズだった。自分の人生に、大きな影響を与えてくれたことに感謝の気持ちが込み上がってくる。まもなく再開発により閉館するイムズ。だから、あっと驚くような施設に生まれ変わるであろう期待感、わくわく感が私にある。

オープンしたイムズ(1989年4月)

 ところで、イムズ開業の直前、敷地南側にあった名物「検定所横のナノミ」は、南側にある天神ツインビル建設に伴い、造園業者に預けられた。計画では、ビル完成後に「肥前堀記念樹」として、元の場所へ戻す予定だったが、残念ながら枯死してしまったという。

 ナノミの記憶は1979(昭和54)年、市制90周年記念事業の公募で制定された福岡市の「町の木・クロガネモチ」として、今も引き継がれている。

一時移植されることになった福岡城ゆかりのクロガネモチの木=1988年10月

◆     ◆

 益田啓一郎(ますだ・けいいちろう) 1966年大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、社史・地域史の執筆、編集に携わりながら10万点超の古写真と絵はがきを収集してきた。近年では西日本鉄道(福岡市)創立110周年史の執筆、「にしてつWebミュージアム」を監修してきた。博多・冷泉地区まちづくり戦後史、博多祇園山笠「西流五十周年史」など、地域の近現代史の記録活動も継続。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」や、地元テレビ局、映画、舞台などの時代考証や企画、監修も担ってきた。著書に「ふくおか絵葉書浪漫」「伝説の西鉄ライオンズ」など。

 8月のイムズ閉館を前に、益田さんらが登壇するシンポジウム「黄金の天神カルチャー~イムズが目指した役割と行方~」を7月16日午後4時から開催します。イムズホールで入場無料。事前申し込み受け付け中です。詳細や申し込みはこちら。

1958年ごろの絵はがき。岩田屋の屋上遊園地から南東方面を望む。左奥に県庁(現在のアクロス福岡の場所)、中央に福岡為替貯金支局(現在のイムズの場所)などが見える

 次世代の姿へ生まれ変わりつつある福岡市の中心部、天神地区。新たな都市空間と雇用を生み出す福岡市の「天神ビッグバン」プロジェクトがきっかけです。福岡をはじめ九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集し、その近現代史を研究し続けているアーキビストの益田啓一郎さん(54)=福岡市=が、再開発エリアの過去と今をつなぐ歴史解説へ、皆さんをご案内します。 ※アーキビスト(Archivist)=文化、産業的な価値ある資料を集め、それらを意義付けしながら活用する人材。

関連記事

福岡県の天気予報

PR

PR