経営拡大で生じたトップとの摩擦、店長が貫いた「言うことは言う」

団交の鬼~ブラック企業との闘い❽

 「考えてみると、店長まで経験させてもらった会社のおかげで、今の自分があるんだよね」。福岡都市圏で古物商を営む長崎和博(63)=仮名=に、20年前の怒りは消えていた。

 当時、質店に身を置いていた。社長が親族の意見を重視し、賃金の引き下げなど従業員を軽視する振る舞いが増えたという。それに反発して行動に出た。

 2001年、長崎が仲間2人と連合福岡ユニオン(福岡市)に加入した。当時の書記長は「団交の鬼」志水輝美(70)。組織固めの助言を受け、長崎ら店長クラスが積極的に働き掛け、最終的に従業員のほぼ全員、約100人が加わった。

 職場集会は熱を帯びた。店が終わった午後9時すぎ、多くの組合員が福岡市内の施設に集まった。「一緒になって会社の体質を変えよう!」。皆、体は疲れていたが団結を誓う声は力にあふれていた。

 社長も黙っていない。組合運動の中核だった店長たちの退職を促す嫌がらせを強め、運動は徐々に弱体化した。長崎も02年、その圧力に耐えかね、25年ほど勤めた会社を去った。同じように辞めた同僚は10人以上に及んだ。

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 辞めた仲間は、それぞれの20年を過ごした。

 長崎は店長経験を生かして古物商やリサイクル業を営んできた。「ものを見る目や、財務諸表の知識などは会社での経験が役に立った」と振り返る。

 会社を辞めたことに後悔はない。「1本2千円の栄養ドリンクを飲みながら必死だった。社長と一緒に会社を大きくしたんだという思いが強かった。だからこそ、親族が会社を振り回すことが許せなかった。そのまま残っていたら、精神的に参っていただろうしね」

 ネットオークションで誰もが身近なものを売り買いできる現代。長崎の店も店頭販売とネット取引が半々だ。夜逃げした家に出向いて残された物品を買い取ったり、遺品整理に呼ばれたりもする。生き残るため、あらゆる仕事に挑戦していく柔軟さが求められていると感じる。

 かつての仲間も、自ら質店を立ち上げたり、タクシーやトラックの運転手になったりした。会社との闘いは決して負けではなかったと信じている。「ユニオンに飛び込まなかったら、みんな縮こまり、何の抵抗もできなかっただろう。言うことは言う。そうやって真っすぐに生きていくと、何も怖いものはない」

 その思いが20年間の支えとなってきた。

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 「中小企業が経営を急拡大していく中で、トップと周辺幹部の間でしばしば摩擦が生じる。社長が周囲の意見に耳を傾けなくなり、大きなトラブルに発展することも」。志水は、長崎たちの会社は決してまれな事例ではないと説明する。

 この20年、志水が手がけた労働争議の中に、誰もが知るような地元企業が含まれるようになった。ユニオンを頼ったのは非正規労働者だけでなく、長崎たちのような会社の幹部クラスの姿もあった。

 2000年頃、急成長していた会社の株式取得争いに巻き込まれて解雇された男性幹部がいた。和解に導いた志水に感謝し、今もユニオンの組合費を支払い続けている。

 経営者の意識も変わり始めている。お家騒動は禍根しか残さない。志水のところに05年、地元企業の創業者の息子が「お話をお聞きしたい」と弁護士を通じて連絡してきた。数年前、この会社の幹部がユニオンに駆け込み、労使交渉に至ったことがあったからだ。

 「自分は労働問題について全くの素人だ」と自信なさげな息子は、いずれ会社を譲られる身。志水は「労働者を大事にする良い労使関係が、やがて経営や業績のプラスになる」とシンプルに説いた。

 今年4月、志水は長崎と久しぶりに顔を合わせた。志水が「酒は好きですか」といつものように誘うと、長崎は「今度、一杯行きましょうね」とうなずいた。

 長崎は、さらに大きく有名になった質店の看板を街で見掛けると願うような気持ちになる。「労使で激しく対立した経験が、その後の会社運営にプラスに働いてくれていればいい」

(竹次稔)=敬称略

 志水輝美(しみず・てるみ) 長崎県出身。1969年に日本国有鉄道(国鉄)入り、74年から労働組合活動に携わるようになる。国鉄を離れ、96年に連合福岡ユニオン結成に関わり、専任の書記長に就任した。副委員長を経て、2015年から特別執行委員。17年にはふくほくユニオンを結成し、副委員長に就任。両ユニオンに携わるダブルワーク中。

※次回は7月18日午前6時にアップ予定です

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