壊れたハイヒールもさびた和傘も “棟梁”は踊り子の駆け込み寺

ストリップストーリーズ⑩“棟梁”

 踊り子も、常連客も、従業員も、その人を“棟梁(とうりょう)”と呼ぶ。本名より、断然しっくりくるから不思議だ。

 現在65歳。従業員として働くようになった初日から、棟梁と呼ばれてきた。理由はシンプル。元大工だからだ。

 劇場のあちこちに熟練の技が光る。まずはロビー。タンバさんの「置きタンバリン」がびっしり入った観音開きの「お客さま専用ロッカー」も、リボンさんが投げ終わったリボンを「電動リボン巻き器」で巻き直す作業台も、ないと不便だから棟梁が造った。ペンキは優しいクリーム色。タバコのやにで黄ばんだ空間に違和感なく溶け込む。

 作業中のリボンさんの隣に腰かけ、“仕事中”の棟梁はラジオのプロ野球中継に集中している。

 熊本県・天草生まれ。中学卒業したての16歳で大工になった。「小さい頃から、椅子やらなんやら作るのが好きだったんよ」。同郷のよしみで、先に大工として一旗揚げていた親方に弟子入りし、福岡・小倉の地を踏んだ。のみやかんなをいしでひたすら研ぎつつ「親方の仕事を何もかんも盗むんよ」。修業中ゆえ、月給は5千円。お菓子やジュースを買ったらすぐなくなった。

 二十歳で独立し、25歳で「棟梁」と呼ばれた。小倉や若松に30坪ほどの木造一軒家を次々と建てた。1軒を2カ月で完成させれば180万円のもうけ。「52歳で辞めるまで40、50軒は建てたね。バブリーだったよ」

 そんな天職をなんで辞めたのか。「コレよ、コレ」。棟梁はちゃめっ気たっぷりに小指を立てて見せた。「私はコレで大工をやめました」。うそかまことか。昭和の人気CMみたい。「情けない人生よ」と笑い飛ばした。

 その後、パチンコ店をプラプラすること1年。スポーツ紙の求人広告が目に留まった。A級小倉劇場との出合いだ。ストリップ劇場は未体験。電話すると「ああ、明日から来てください」といきなり言われた。間髪入れず「食べる物も寝るとこもありますから」とも。その言葉にそそられ、「お願いします」と返した。

 あれから12年。「とうりょ~う、これをすぐ使えるようにして」。初日の開演前、小倉に到着したばかりの踊り子が、前日までのステージ中に壊れてしまった小道具や靴を手に駆け込んでくる。

 修理件数第1位は「和傘」。みやびな演目に、あでやかさ、はかなさをプラスする定番のアイテムだ。さびて開かなくなった傘を逆さにして、油をすすっと差す。先端に油が染み込み、1、2時間もすればじわーっと開くようになる。

 第2位は「ハイヒール」。片足で全体重を支えたり、激しいステップに耐えたりの足元だけに、ヒールの底がパカッとはげるのは日常茶飯事。まずはヒール本体と、はげた底に速乾接着剤を塗り、焦らず、乾燥するまで待つのがポイント。「手で触ってペタペタしなくなって張り合わせると、もう絶対外れんくなる」

 第3位は「羽扇子」。クジャク風のふさふさの羽が付いたアイテムは、エキゾチックな演目にもってこい。扇子の骨を止める金属製の「要」が外れるとバラバラと形が崩れ、開かなくなる。似たような木製のピンを差し込み、ドライバーできつく締め上げる。

 他にも、「コブラみたいな頭をしたステッキの柄」を固定してあげたり、高校生の甘酸っぱい恋物語の演目に使った私物の机や椅子を、次の劇場に送るための巨大段ボールを作ってあげたり。ポールダンス用のポールを修理してもらった踊り子、ななゆらは「普段だったら自分で直すしかないから困るけど、ここには棟梁がいる。小倉は昔ながらであったかい」。

 踊り子からの依頼は10日間で3、4件ほど。お代はもちろんタダ。棟梁が好きなたばこの銘柄を聞き出して買ってきてくれたり、ポチ袋に千円を入れて手渡してきてくれたりする子もいるけれど「『ありがとね』だけでいいよ」。そう言うと、慌てて「投光さん」の仕事に向かった。

(敬称略)

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