告別式でしか本音言えなかった 開幕アーチに藤田が込めた恩師への思い

 全競技のトップを切ったソフトボールで快勝発進した日本。投打「二刀流」で期待され、DP(指名選手)で出場した初戦で2ランを放った藤田倭(やまと)(ビックカメラ高崎)=長崎県佐世保市出身=はある決意とともに初出場の五輪に臨んだ。4年前に他界した高校時代の恩師へ直接伝えられなかった「頑張ります」―。

 藤田の原点は、佐賀女子高の監督だった久保田昭さん(享年72)の佐賀市の家で過ごした3年間にある。「礼儀を知らず、人として未熟だった私を父親のように厳しく、優しく育ててくれた」。恩師は1968年から同校の監督一筋で「おかげさまで」が口癖。「感謝の心と謙虚さを忘れるな」と部員に説き続けた。

 薫陶を受けた藤田は1年生だった2006年に全国総体で優勝。直球一辺倒の強気な投球と豪快な打撃で国体も制した。一方で、負けず嫌いな性格は誤解や他人との摩擦を招くこともあった。卒業後に進んだ群馬県高崎市の太陽誘電ではチームを「脱走」して、佐賀へ戻ったこともある。

 ちょうど久保田さんが体調を崩して入院していた時期。周囲の説得もあり、ソフトボールを続けることを伝えると「良かった」と目に涙を浮かべて喜んでくれた。その後は会うたびに「おまえがオリンピックに出る姿を見るのが俺の生きがい」と語り掛けられた。

 当時の藤田は愛情あふれる言葉を正面から受け止めることができなかった。「先生の気持ちは分かっていたけど、自信がなかった。『頑張ります』という、たったひと言がどうしても言えなかった」。初めて伝えたのは17年4月。病に倒れた久保田さんの告別式。藤田は弔辞を読み上げた。途中から声にならなかった。

 「今、ここで誓います。誰よりも輝くことを。誰かに勇気や希望を与えられる選手になることを」-。久保田さんはどんな大会でも初戦を大切にした。30歳になった藤田は、佐賀女子高の後輩にあたる27歳の内藤実穂(みのり)(ビックカメラ高崎)らとともに五輪の初戦で価値あるアーチを架けた。

 無観客のスタンド。福島の夏空のどこかで恩師が見守っていると思うと勇気が湧いてくる。「何も言わなくても、きっといろんなことを感じ取ってくれていると思う。最後までプレーで見せていきたい。目の覚める一発が打てて本当に良かった」。投げてはエース上野由岐子(同)=福岡市出身=と並ぶ日本の柱。誓いを果たす時が来た。

(西口憲一)

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