「ここ一番は上野」福島で高ぶった開幕投手 20年来の師弟が挑む夢の続き

 伝説を残した2008年北京大会から13年。22日で39歳になる上野の投球を、宇津木麗華監督は「心の中でうれし涙が出た」と表現した。強豪のオーストラリアを相手に五回途中1失点と力投。赤のユニホームを身にまとい、日本のエースが五輪に帰ってきた。

 百戦錬磨の右腕も胸の高ぶりを隠せなかった。「やっとこの舞台に戻ってこられた。興奮しすぎず、丁寧に」。コースを狙いすぎた初回は押し出し死球で1点を先制されたが、大崩れはしない。なお1死満塁のピンチで後続を空振り三振と投ゴロに仕留めた。

 「(初回は)厳しく投げすぎちゃったかな。もっと大胆に、バッターをしっかり見て感じるままに」。二回以降は緩急をつけて打者の打ち気をそらした。110キロ台前半の直球をコースに決め、変化球も低めに集めた。炎天下で85球を投げて7三振を奪った。

 「20年以上も私の下で投げてくれたではなく、『投げていただいた』。上野がいてこそ優勝という夢がかなう。ここ一番は上野しかいない」。敗者復活システムがなく、6チーム総当たりの1次リーグの上位2チームが決勝に進む今大会。宇津木監督は初戦の先発を託した理由を明かした。

 現役時代は強打者として活躍した宇津木監督は中国出身。1995年に日本国籍を取得し、主将だった2004年アテネ大会で3位。福岡・九州女子高(現福岡大若葉高)で注目を集めた上野とは、日立高崎(現ビックカメラ高崎)から同じ時間を過ごしてきた。

 19歳下の上野はアテネ大会が五輪初出場。決勝を懸けた大一番で登板機会がなかったエース候補に、当時現役だった宇津木監督は大黒柱としてのあるべき姿を言い聞かせた。08年北京大会で悲願の金メダルを獲得した後、燃え尽き症候群に陥ると「続けることに意味がある」と諭した。

 「由岐子には『山を支える人間に』という両親の願いが込められている。(北京大会後も)日本を背負っている姿を見てきたからこそ、私が彼女に恩返しをしたい」。集大成となる今大会。「初戦が大事」と言い続けた宇津木監督にとって選択肢は一つだった。

 「復興五輪」を掲げながら、福島県営あづま球場もコロナ禍で無観客となった。「がむしゃらに必死にグラウンドで戦うだけ。そういう思いをしっかり福島の地に置いて帰れるように」。上野は決意を口にした。師弟の金メダルへの挑戦が幕を開けた。

(末継智章)

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