グランドホテルに漂う王者ライオンの誇り 偉人別宅、西鉄本社を経て

「天神の過去と今をつなぐ」(6)西鉄グランドホテル

 福岡市の「旧大名小学校」跡地は、再開発促進事業「天神ビッグバン」で複合ビルの建設工事が進行中。今回は、それに隣接する西鉄グランドホテルを巡る物語です。かつて偉人の別宅や西日本鉄道の本社があるなど、市民にとってもなじみが深い場所。6月21日に配信したこの連載4回目「大名小学校跡地」も併せてお読みください。

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 旧大名町と萬町

 福岡市にある西鉄グランドホテルの場所にはかつて、福岡藩の重臣・間島甚左衛門の屋敷があった。間島家は黒田孝高(官兵衛)の弟、黒田修理亮利則(養心)を先祖に持つ。そこは大名町と天神町の境に位置し、防衛上の要衝でもあり、この地を与えられた。

 間島屋敷は明治維新の後、安川・松本財閥を築いた松本潜(安川敬一郎の兄、松本健次郎の養父)別邸となった。潜は1901(明治34)年1月に別邸で亡くなり、健次郎が受け継いで所有し続けた。

(左)松本健次郎=1957年ごろ撮影、(右)明石元二郎=1919年10月25日付福岡日日新聞より

 旧大名小学校区の歴史をまとめた「大名町界隈(かいわい)誌(柳猛直・財部一雄共著)」によると、1919(大正8)年10月には、陸軍大将・台湾総督となっていた明石元二郎がこの別邸で亡くなっている。明石の生家は、萬町筋(現在の天神西通り)を挟んで、間島屋敷の東向かいにあったという。

 明石家は間島家と同様に福岡藩の重臣だったが、明治維新直前に父が亡くなったことで貧しい母子家庭に転落、屋敷も他人に渡っていた。陸軍大将・台湾総督となって1年余、九州大医学部で診療を受けながら病気静養のため、生家そばにあった松本別邸を借りたのだった。

1935(昭和10)年の大名小学校卒業アルバムに掲載されている写真。松本健次郎別邸や大名町教会も見える=著者所蔵写真

 松本健次郎は、日露戦争当時には陸軍中尉などとして活躍した経歴があり、明石の静養先として別邸を提供したそうである。残念ながら明石は回復することなく、故郷を身近に感じながらこの地で最後を迎えた。

 西日本鉄道の本社時代

 終戦間近の1945(昭和20)年1月、西日本鉄道が健次郎の別邸約2000坪(約6600平方メートル)を35万円(当時)で購入し、本社をこの場所に移した。

 西鉄は、福岡県内の私鉄5社を統合して1942(昭和17)年9月に誕生。当初は西新町の旧福博電車本社ビルを本社として使用していたが、手狭となり物件を探していた。西鉄社長の村上巧児が松本の弟・安川第五郎(安川電機創業者)を通じて交渉し別邸を購入した。戦時下ということもあり、改築することなく、そのまま別邸の土地と建物を本社として使用した。

 余談であるが、安川第五郎は1964(昭和39)年に開催された前回の東京オリンピック組織委員会会長を務めている。
 

 しかし、その半年後の1945(昭和20)年6月19日、福岡大空襲で建物は全焼。焼け跡に改めて木造の西鉄本社が完成したのが、1950(昭和25)年1月だった。その後、1962(昭和37)年4月に新築の福岡ビルへ本社を移転するまで、西鉄本社はこの地に置かれた。

1950(昭和25)年当時の西鉄本社=「躍進西鉄〜西日本鉄道50年史」より

 今から70年前、1951(昭和26)年に発足した西鉄ライオンズの球団事務所も当初は西鉄本社内に置かれた。中西太や豊田泰光ら全盛期の選手は、この地で入団あいさつや手続きをした。

 「廊下はミシミシ音がする」。豊田は自著で、たびたび西鉄本社について触れている。時代は戦後復興期。資材が入手困難だったことから、古材を使って建てられていた。

 球団発足当時の西鉄ライオンズは、遠征先で「サイテツ」と間違えられるほど知名度は低かった。三原脩監督のもとで中西や豊田、仰木、西村、高倉ら高卒の生え抜き選手が中心となって1954(昭和29)年に初のリーグ優勝を果たすと、稲尾が入団した1956(昭和31)年からは日本シリーズ3連覇を達成。全国区の人気チームに飛躍した。

1961(昭和36)年11月、西鉄本社で開かれた西鉄ライオンズの新監督に就任した中西太氏(中央)と豊田泰光助監督(右)、稲尾和久コーチ(左)の記者会見=本紙DBより

 西鉄の名称は、ライオンズとともに浸透。1960年代には、運輸事業に加え、観光や航空貨物などグループの多角経営を大きく展開していく。ライオンズは、そのシンボルの役割を果たしたのである。

 西鉄ライオンズと大名町の西鉄本社については、2009(平成21)年に刊行した拙著「西鉄ライオンズとその時代」や、ウェブサイト「にしてつWEBミュージアム」内の「西鉄ライオンズ・アーカイブス」で秘蔵写真群を公開している。

グランドホテル誕生

 1969(昭和44)年4月、旧西鉄本社の跡地に西鉄グランドホテルが開業した。地上14階地下1階、客室数は308室。レストランや結婚式場などを備えた福岡市内初の本格的な都市型ホテル。当時、政令指定都市へ向けて「躍進する福岡市」の象徴的な施設となった。

1970(昭和45)年に刊行された絵はがきセットの表紙。中央手前右が西鉄グランドホテル=著者所蔵

 グランドホテルのシンボルマークは、今も受け継がれている。「ライオン」をモチーフにしたもので、中西太監督時代のライオンズのユニホームやエンブレムにも使われた。

 シンボルマークの制作者は福岡市出身のグラフィックデザイナー、西島伊三雄である。西島はインスタントラーメンの「うまかっちゃん」のネーミングやパッケージデザイン、福岡市地下鉄駅のシンボルマークのデザインなどで知られる。1960年代には観光ポスターコンクールで最優秀賞を多数受賞するなどこの分野の第一人者だ。西島は西鉄の観光ポスターも手がけたことがある。

西鉄グランドホテルのシンボルマーク

 グランドホテルのシンボルマーク。ライオンを使うアイデアが西島から出たものか、西鉄側がリクエストしたものか、資料をたどる中で確認できなかった。だが、福岡市民のシンボル的存在であったライオンズを選ぶのは、自然の流れだったと思える。

 今年2021(令和3)年は、西鉄ライオンズ生誕70周年というメモリアルな年。4月の西鉄ライオンズ展に続き、8月にも展示やトークショーがグランドホテル内で企画されており、私も楽しみにしている。

 西鉄広報内で私もアドバイザーの立場。企画が始まる前の今年1月、西鉄が所蔵する資料を確認する場にも立ち会う幸運に恵まれた。実物が初展示公開となる平和野球場の図面(1958年)など見どころ満載だ。ホテルを訪問し、歴史や文化を感じていただければ幸いである。

西鉄グランドホテル(左)の隣の大名小跡地に建設されるビルのイメージ図(福岡市提供)

 昭和から平成、そして令和へと半世紀以上経ても色あせないライオンズの魅力。この地の歴史を振り返ると、かかわってきた人たちの熱い思いがよみがえる。ひょっとすると、天神エリアナンバーワンのパワースポットかもしれない。

 

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 益田啓一郎(ますだ・けいいちろう) 1966年大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、社史・地域史の執筆、編集に携わりながら10万点超の古写真と絵はがきを収集してきた。近年では西日本鉄道(福岡市)創立110周年史の執筆、「にしてつWebミュージアム」を監修してきた。博多・冷泉地区まちづくり戦後史、博多祇園山笠「西流五十周年史」など、地域の近現代史の記録活動も継続。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」や、地元テレビ局、映画、舞台などの時代考証や企画、監修も担ってきた。著書に「ふくおか絵葉書浪漫」「伝説の西鉄ライオンズ」など。

 次世代の姿へ生まれ変わりつつある福岡市の中心部、天神地区。新たな都市空間と雇用を生み出す福岡市の「天神ビッグバン」プロジェクトがきっかけです。福岡をはじめ九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集し、その近現代史を研究し続けているアーキビストの益田啓一郎さん(54)=福岡市=が、再開発エリアの過去と今をつなぐ歴史解説へ、皆さんをご案内します。 ※アーキビスト(Archivist)=文化、産業的な価値ある資料を集め、それらを意義付けしながら活用する人材。

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