【美は細部に 皇室の名宝展】(中)楽譜のよう 絵画のよう

粘葉本和漢朗詠集 伝藤原行成筆(11世紀)

 「和漢朗詠集はレベルの高いカラオケの教材です」

 九州国立博物館(福岡県太宰府市)の島谷弘幸館長は、平安時代の歌人藤原公任(966~1041)が撰者を務めた歌集をそう表現する。

 会社のカラオケ大会。メンバーは社長から新入社員まで。さて何を歌えばいいか? 若者のヒット曲なら社長の不興を買う。昭和の演歌なら新人たちがそっぽを向く。

 「そんな時、万人を納得させる歌があるように、和漢朗詠集は誰が朗詠しても期待に応え、満足できる歌が収められているのです」

 平安貴族たちは楽器に合わせ和歌や漢詩を詠(うた)った。紀貫之から白居易まで並ぶこの歌集は当代きってのベストヒット集。「粘葉本(でっちょうぼん)和漢朗詠集」こそ、歌集を書写した古筆の中で至高の1冊である。

 粘葉本とは、二つ折りにした紙の折り目近くを細くのり付けし、貼り合わせた装丁の本のこと。継ぎ目のないページと、貼り合わせたページが交互に出てくるため、「チョウの舞いを思わせる胡蝶(こちょう)装とも呼ばれます」と島谷館長。何とも雅なソングブックだ。

 粘葉本は藤原行成(972~1027)の筆と伝わる。三蹟と呼ばれた名書家の洗練された書風を、まずは目で味わいたい。

 島谷館長は楽譜のように楽しむことを提案する。作曲家の楽譜をたどって彼らの創造性を再現するように、行成の筆遣いから息遣いまで追体験できるという。

 「書き始めは慎重に楷書の文字を続けますが、やがて伸びやかな行書や草書を交え、水の流れや舞踊を見ているような感じになる。筆の穂先の動きを細部まで追えば、1文字1文字に神経を配り繊細に表現したことが伝わります」

 見るだけでなく、書いても楽しい。粘葉本の書跡は書の手本として今も愛される。日展会友の書家、吉村宣枝さん(89)=福岡市早良区=は粘葉本の影印本(複製本)を常に手元に置いて和漢の造形美を玩味する。「漢字は端正かつ実直で、かなは連綿が美しい。日本の文字が持つ素晴らしさが詰まっています」

 現代書家は文字で自己表現することが求められるが、「初心に戻って向き合うと優雅さや優しさといった日本らしい心を思い出させてくれます」と吉村さんは語る。

 ページごとに異なる料紙を使っている点も粘葉本の芸術的な価値を高めている。用いられているのは中国から輸入された舶載唐紙。しかも一般の交易では入手できない貴重なものだ。

 赤や青、黄など料紙の鮮やかな色は、さまざまな顔料と染料を駆使している。宮内庁三の丸尚蔵館(東京)の太田彩首席研究官が語る。

 「現代と違い、絵の具の色のバリエーションが少なかった時代。色は人を豊かな気持ちにしてくれたはずです」

 透かし彫りのように、料紙に浮かぶ可憐(かれん)な文様は雲母(きら)を使って刷り出した。太田首席研究官によると、文様は大別して9種類ある。瑞果花(ずいかはな)唐草文(からくさもん)、蒲公英(たんぽぽ)唐草文、亀亀甲繋文(かめきっこうつなぎもん)-。いずれもおめでたい名称とデザインだ。文様を隅々まで眺めると、木版とは思えない細線が精緻に表現されていることが分かる。

 「当時の技術力の高さに驚くと同時に、現在にも通じる普遍的なデザインであることにも驚くでしょう」

 文字がなくても、絵画のように見ても飽きない唐紙である。

 紙と表現との出合いは今も変わらない。

 紙専門のショップ「ペーパー・イン」(福岡市博多区)には約4千アイテムが常備されている。特殊紙と呼ばれる洋紙が中心で、一枚一枚に施された加工やデザインは実に豊富だ。亀甲の意匠の洋紙もある。色の名前も「にぶ空」や「しろ藤」など、どこか平安の昔を思わせる。

 「デザイナーは印刷するイメージを考えて紙を選びます。書道用紙とは違う効果を出すため、特殊紙を求める書家もいます。撮影の背景に凝る写真家もよく来られます」とレイメイ藤井経営企画室広報課の田口磨子さんが教えてくれた。

 現代の表現者が紙と対話しながら創作に取り組むように、藤原行成は料紙と文字を見事に調和させた。

 筆の動きが生む流麗な漢字とかなは、文字を愛(め)でる人を書の美へと導いただろう。和歌や漢詩などの文学を鑑賞する人がいただろう。書かれた唐紙を絵画や工芸品のように楽しむ人もいただろう。見開いて縦約20センチ、横約24センチの空間は大きくはないが、細見すれば「美の宇宙」を秘めている。 (塩田芳久)

 特別展 皇室の名宝-皇室と九州をむすぶ美- 8月29日まで、福岡県太宰府市石坂の九州国立博物館。宮内庁三の丸尚蔵館(東京)は、皇室に代々受け継がれた美術品などを保存・管理し、調査研究を行う施設。本展は同館が所蔵する膨大なコレクションの中から、皇室の慶事に九州各地から寄せられた献上品や、各時代の日本美術の名品など、計68件103点を通して皇室の文化継承、皇室と九州のつながりを紹介する。

 会期中は展示替えがある(前期=7月20日~8月9日/後期=8月11~29日)。粘葉本和漢朗詠集も8月3、17日に開いているページを替える。

 入場料は一般2000円、高大生1200円、小中生800円。月曜日休館。ただし8月9、16日は開館。10日は休館。西日本新聞イベントサービス=092(711)5491。

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