【投稿】教室から見える長崎の景色が私は大好きです

坂道のまち長崎/野口心春(のぐち・こはる)=15

 かわがあり、そのうえおおきなはしがかかっていてくるまはしる。すこさきければ、ビルがならんでいる。そして、ひだりてもみぎてもやまがある。わたしは、きょうしつからえるながさきのまちがしきだいきです。きょうしつからのしきとくべつうつくしいというわけではありません。でも、なぜかそのしきながめているだけでこころうばわれてしまいます。

 わたしんでいるながさきさかみちおおい。だから、どこへかうにもさかみちえないといけません。しかし、さかみちがたくさんあるからこそ、ることができるすてきなしきかぞれないほどあります。わたしはそのようなしきたびはげまされているようなちになれます。しきからエールをもらい、せいちょうしていきたいです。(ながさきちゅうがくせい

逃げずに向き合う/村橋美佑(むらはし・みゆう)=15

 わたしがっきゅういんちょうつとめていますが、まだひとまえなにかをするとなると、こわくてかたがありません。しっぱいしたらどうしようとかんがえてしまうのです。いっぽうぶんがやるとめたからにはせきにんをもってやりとおさなければいけない。まかされたことをことわったり、めたことをあきらめたりするのはかっこうわるいともおもいます。

 きっとわたしのどこかでとくべつなことをやってみせること、それはとても「かっこういいこと」だとおもっているのです。だからわたしは、こわくてげたいこともしんをもってかっこういいぶんちかづくためにちょうせんしたいです。この1ねんかべにぶつかることもおおいとおもうけれども、げずにってあきらめないことでかべえる、そんなおもいでがんっていきたいとおもいます。(がわけんかわさきちゅうがくせい

おなか支えるコンビニ/田中萌菜(たなか・もな)=15

 わたしこうこうじゅけんひかえ、まいにちじゅくかよっていた。よるおそくまであるじゅくわたしのおなかはたえられない。そんなときわたしのおなかをささえてくれるのはコンビニだ。さくらいろのフルーツパフェやいちごだいふくが「はやってくれー」とわんばかりにならんでいる。わたしはいつもそのゆうわくけてしまい、スイーツをってしまう。

 もうおみせのレジのひととはかおりで、てんいんさんは「あ、またこのひとスイーツってる」とでもおもっているのだろうか。「イートインで」とわなくても、イートインのだんにしてくれる。やはり、てんいんさんはわたしかおおぼえているのだろう。こんこうこうともだちいっしょにこのコンビニによう。そのときかおおぼえてくれていたら、さいこうだ。(ふくおかけんこうこうせい

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