空襲を免れた「天神」由来の地 水鏡天満宮が結んだ日本酒と橋の縁

「天神の過去と今をつなぐ」(7)水鏡天満宮周辺と綾杉酒造

 福岡市・天神地区の歴史秘話を紹介する連載「天神の過去と今をつなぐ」の7回目は、「天神」の地名の由来ともなった「水鏡天満宮」周辺を取り上げます。かつて酒造場があり、横町が生まれ、知る人ぞ知る天神のホットスポット。大規模再開発促進事業「天神ビッグバン」の対象エリアですが、そのまま残ってほしいという人も多いのではないでしょうか。

※テキスト、写真、画像などの無断転載と無断使用は固く禁じます。 

 ◆    ◆

 天神にあった綾杉酒造

 福岡市南区塩原の那珂川沿いにある綾杉酒造場が7月末、日本酒の消費縮小などで事業継続を断念し、228年の歴史に幕を下ろした。

 福岡城下の東端、橋口町(現在の中央区天神1丁目)で1793(寛政5)年に創業。香椎宮(福岡市東区)のしんぼくにちなむ銘酒「綾杉」で知られた。創業家の先祖の出身地が香椎であったことから名付けたそうだ。近年は博多祇園山笠にちなむ「櫛田入り」「舁(かく)」などの銘柄でも人気があった。

福岡市南区の綾杉酒造場※著者所蔵写真

 同酒造場は長年、水鏡天満宮の西隣で醸造していた。戦後の区画整理で「昭和通り」が整備されるのに伴い、1958(昭和33)年に現在地へ移転。現存する蔵の施設には、橋口町時代の建物の部材が使われている。また、蔵の玄関やホール部分も一部移築し、保存・展示されてきた仕込み道具なども当時からのものという。

 同酒造場は天神時代、「なる」の屋号で酒類を販売。戦前の地図などにも「成巳屋」と表記されている。天神を離れてからも、今日まで水鏡天満宮の祭礼ごとに酒を奉納してきた。

(左)1925(大正14)年ごろの水鏡天満宮(絵はがきから)。(右)水鏡天満宮への綾杉酒造場からの奉納木だる※著者所蔵写真

 1945(昭和20)年6月19日の福岡大空襲で、天神地区一帯も焼け野原となったが、天満宮や綾杉酒造場は奇跡的に難を逃れた。隣接地には福岡県庁をはじめ丈夫な建物があったため、占領軍は接収後の活用を想定し、標的から外したのではないかとみられる。実際、福岡県庁の西隣にあった千代田生命ビルは接収された。

1946(昭和21)年発行の「福岡市地図」。戦災で焼失したエリアが赤色で表記されている※著者所蔵

 水鏡天満宮は、那珂郡庄村(現在の中央区今泉1丁目)にあった「すがた天神」を、1612(慶長17)年に福岡藩主・黒田長政が現在地へ移したものである。この場所が福岡城下の東北、つまり鬼門にあたるため「鬼門封じ」の守護神として祭られた。空襲を免れたのも天満宮の力ではないか、と思いたくなる。

 明治・大正期の水鏡天満宮付近

 水鏡天満宮裏門の東側、つまり綾杉酒造場からほど近い西中島橋の西詰めには、かつて福岡城下の入り口である「東取入口」(ますがた門)があり、川縁は強固な石垣で囲まれていた。石垣は福岡市誕生の前年、1888(明治21)年までに撤去されたが、門があった西中島橋のたもとには今も「福岡市道路元標」が付設されている。道路標識の「福岡市から何キロ」とか、「東京から福岡市まで何キロ」などの距離を測る起点がここである。

(左)「福岡市道路元標」(手前)と市赤煉瓦文化館。(右)真上から見た福岡市道路元標※著者所蔵写真

 水鏡天満宮の周辺は、明治になると福岡市役所や福岡県庁、警察署、電信局などが置かれ、官庁街「天神町」の中心地として栄えた。現在「福岡市赤れん文化館」(福岡市文学館、旧日本生命九州支店)が立つ場所にも、国立第十七銀行(福岡銀行の前身)があり、天満宮を取り囲むように立ち並んでいた。

1915(大正4)年の水鏡天満宮付近。左奥の森が天満宮で、その東側が福岡市役所、右の川沿いの建物は警察署。右奥には日本生命九州支店(現・福岡市赤煉瓦文化館)もみえる※著者所蔵写真

 綾杉酒造場があった橋口町は、戦災と戦後の都市計画に伴う「昭和通り」建設により、様相が一変。戦前までの橋口町は旧唐津街道筋であり、細い道沿いには、藩政時代から続く旅館や老舗商店が立ち並び、旧城下町で最もにぎわった通りであった。

1916(大正5)年ごろの橋口町。右手前が福岡郵便局。左手前が日本生命九州支店(現在の福岡市赤煉瓦文化館)。同支店の2軒先に綾杉酒造場があった※著者所蔵写真

 皇族はじめ、アインシュタイン博士が宿泊した栄屋旅館や旅順館も酒造場の斜め向かいにあった。下水道のマンホールふたなど、ちゅうてつ製品の製造開発で知られる日之出水道機器は、1919(大正8)年に酒造場の西隣で創業している。近年ブームとなっている「マンホールカード」の火付け役としても有名だ。

 酒造跡地が天神の駐車場不足を補う

 綾杉酒造場の移転後、跡地は1971(昭和46)年に都心の貴重な駐車場「綾杉パーキング」となった。それまで天神地区には地下駐車場や平面の駐車場はあったが、貴重な立体駐車場は綾杉が初めてだったようだ。開設から50年が経った今も、同駐車場の利用者は多い。1階には、1998(平成10)年に「酒のぎゃらりい・綾杉」が開店し、発祥の地で酒の文化を紹介し続けている。酒造場の廃止後も「ぎゃらりい」は継続するとのことで、日本酒好きで同店を利用してきた私としては、ほっとしている。

天神にある「酒のぎゃらりい・綾杉」(左)と、「綾杉立体駐車場」(右)※著者所蔵写真

 ちなみに「ぎゃらりい」開設前、この場所が何の店だったのか気になって調べてみた。手持ちのゼンリン住宅地図(1989年の福岡市中央区版)をみると「地図の店」とある。ゼンリンがかつて、都市部に全国展開していた地図のアンテナショップと同じ名前だ。

 綾杉の9代目・中尾卯作さんによると、祖母が戦後すぐに成巳屋の一角で、国土地理院発行の地形図や市街図、さらに、1973(昭和48)年ごろまで発行された「福岡地典(福岡市縦横詳細地図)」という住宅案内図を販売していた。福岡地典は、片山技研(銀洋社)が1931(昭和6)年から製作・発行していたもので、ゼンリンが住宅地図の製作を始める際、創業者が同社を訪れて指導を仰ぐなど最も参考にした地図である。

 現在、明治通りに面して「綾杉ビル」があるが、かつてそこに成巳屋があった。国土地理院の地形図だと九州内のすべてがそろうなど充実していたそうだ。

 綾杉パーキングが完成すると成巳屋はパーキング1階へ移転し、屋号は「地図の店」に。ゼンリンが「日本初の地図専門店」と社史で記している「地図の店」の出店は1985(昭和60)年4月からなので、そのはるか以前から地図専門店だったというのは驚きだ。

 同店はその後、ゼンリンが提携する新「地図の店」となっているが、そのルーツは紛れもなく成巳屋であった。

 地図の店が天神地区から撤退して約24年、ゼンリンは4月に地図グッズの店「マップデザインギャラリー」を新天町に“再出店”。地図をデザインしたグッズを開発、販売して人気を博している。その起点が酒造場の創業地にあったことは、ゼンリングループに勤務していた私もうれしいことだ。

 名店並ぶ天満宮横丁

 水鏡天満宮の東側の飲食街「天満宮横丁(うまかもん通り)」は、戦後復興期に誕生した。

飲食店が軒を連ねる天満宮横丁

 当時、周辺のビル再開発で天神地区の住民が激減し、神社の運営も年々厳しさを増していた。氏子の減少に加え、境内の縮小を余儀なくされた天満宮が、敷地を提供してできたのが天満宮横丁である。

 ここにはかつて、昭和天皇に珈琲を献上したことで知られる珈琲店「ばんぢろ」などの名店が軒を連ねた。天満宮の向かいには県庁があり、打ち合わせや待ち合わせの客でにぎわった。

 綾杉パーキングをはじめとする水鏡天満宮の周辺も、再開発促進事業「天神ビッグバン」の対象エリアだが、今のところ具体的な建て替え計画は未発表だ。時代が経過し、天満宮横丁の店の顔ぶれもずいぶんと変わったが、できることならその風情やなじみの飲食店は残ってほしいものだ。

河川側からみた現在の綾杉酒造場※著者所蔵写真

 天神から離れるが、最後に南区塩原にある綾杉酒造場について触れたい。那珂川沿いの遊歩道や公園に囲まれ、JR竹下駅西口から歩行者専用橋を渡ってすぐの好立地。地域のランドマーク的な役割を担ってきた酒造の建物は今後、地域での活用方法を模索するそうだ。廃業は残念だが、これまで通り「酒蔵コンサート」など文化的な活動に使われたらうれしい。

 酒造場横の公園には、由緒あるモニュメントやベンチが設置してある。天神時代にそばにあった、西中島橋に使われていた欄干の石材が再利用されている。

綾杉酒造場近くの公園にあるモニュメント※著者所蔵写真

 河畔の公園を整備する際、地域住民によるワークショップが行われ、子どもたちのアイデアが生かされたものという。水鏡天満宮の力で、酒造と橋の記憶が現代に導かれたようで不思議である。

◆     ◆

 益田啓一郎(ますだ・けいいちろう) 1966年大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、社史・地域史の執筆、編集に携わりながら10万点超の古写真と絵はがきを収集してきた。近年では西日本鉄道(福岡市)創立110周年史の執筆、「にしてつWebミュージアム」を監修してきた。博多・冷泉地区まちづくり戦後史、博多祇園山笠「西流五十周年史」など、地域の近現代史の記録活動も継続。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」や、地元テレビ局、映画、舞台などの時代考証や企画、監修も担ってきた。著書に「ふくおか絵葉書浪漫」「伝説の西鉄ライオンズ」など。

1910(明治43)年に発行された「福岡市案内記」で紹介されている綾杉酒造場※著者所蔵写真

 次世代の姿へ生まれ変わりつつある福岡市の中心部、天神地区。新たな都市空間と雇用を生み出す福岡市の「天神ビッグバン」プロジェクトがきっかけです。福岡をはじめ九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集し、その近現代史を研究し続けているアーキビストの益田啓一郎さん(54)=福岡市=が、再開発エリアの過去と今をつなぐ歴史解説へ、皆さんをご案内します。 ※アーキビスト(Archivist)=文化、産業的な価値ある資料を集め、それらを意義付けしながら活用する人材。

関連記事

福岡県の天気予報

PR

PR