あの日の春秋:胸に響く五輪のドラマ(2008年8月19日)

86位に終わったが、宮沢崇史選手(30)=長野市=について書きたい。茶の間の関心が向きにくい自転車ロードレースで、北京五輪は小さなドラマを用意していた▼宮沢選手は小学1年のとき父親を病気で亡くし、母親に女手一つで育てられた。自転車レースの最高峰「ツール・ド・フランス」をテレビで見て「いつか僕も」と夢見た。高校は自転車の部活動があるところを選んだ▼高校卒業後に欧州に修業に行ったこともある息子を、経済的にも支えた母親の純子さん(60)が肝硬変で倒れたのは、2001年のことだった。治療法は生体肝移植しかないと告げられた▼日本の実業団で夢を追っていた宮沢選手は、自分の肝臓のほぼ半分を提供する。競技生活を絶たれるかも、と母親は自分のことより息子の将来を案じた。息子は「家族だから当たり前」と迷わずドナーになった。「苦労をかけっぱなしだったし」▼体力はすぐには戻らない。競技再開後も芳しくなく、所属先を解雇された。そこからはい上がった。母親のためにも負けるわけにいかない。貯金をはたいて海外で自分を鍛え直し、実績を重ねてつかんだ五輪切符だった▼レースは開会式翌日にあり、高低差600メートルの全長245キロを7時間弱で完走した。一番きつい所で応援するからね。そう言っていた純子さんは、万里の長城一帯を周回するゴール近くの坂道で「たかしー!」と声を張り上げたという。(2008年8月19日)

 特別論説委員から 世界の頂点を目指す五輪代表。その道のりには、一人一人にドラマがあろう。とりわけ東京五輪は新型コロナ禍で1年延期され、さらに開催すら危ぶまれた。選手本人や支える人たちの胸中は複雑に揺れ動いたに違いない。そして、やっぱり数多くの感動が生まれた。白血病を克服した水泳の池江璃花子選手、予選敗退した内村航平選手の分まで頑張り、個人で二つの金、団体総合でも銀のメダルを獲得した体操の橋本大輝選手…。皆さんの胸には、どんなドラマが響きましたか。(2021年8月8日)

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