長崎原爆の日 最後の被爆地、決意新たに

 「私たちも、被爆者手帳を手に、この日を迎えたかった」

 長崎原爆の日のきょう、そんな思いを抱くのは長崎市の岩永千代子さん(85)。国が定めた「被爆地域」の外で原爆に遭ったため、被爆者とは認められない「被爆体験者」の一人だ。

 先月末、広島原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びた被爆地域外の84人全員を被爆者と認めて被爆者健康手帳の交付を命じた広島高裁判決が確定し、6日までに手帳交付も実現した。

 これに先立つ首相談話は「同じような事情」の人々の救済にも踏み込んだ。「長崎も」との思いが湧くのは自然だろう。

 長崎の被爆地域は南北に長いいびつな形だ。爆心地から同じ距離にいながら、被爆者と認定された人もいれば、認められない人もいる。認定外とされた当事者には、不条理な線引きと言えよう。このため、被爆者認定を求める訴訟がやまない。

 長崎の被爆体験者訴訟は第1陣、第2陣とも最高裁で敗訴が確定した。第1陣の原告団長だった岩永さんらは長崎地裁に再提訴して闘いを続けている。

 黒い雨訴訟の判決確定を受けて長崎県知事と長崎市長は、被爆体験者の被爆者認定と救済を国に要望した。原告の高齢化が進んでおり「一刻も早い救済を」と岩永さんは願う。広島で示された幅広い救済の道筋を長崎にもたぐり寄せたい。

■悲願が結実した条約

 核兵器廃絶を求めてきた長崎にとり、今年は新しい地平に立って迎える原爆の日になった。

 1982年、長崎の被爆者、山口仙二さん(2013年没)が国連で演説した。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」。被爆者が初めて国連本部で発言し、核廃絶を世界に求めた。今に語り継がれる画期的な演説である。

 山口さんだけではない。多くの被爆者が長崎で、あるいは海外に出向いて、核兵器の非人道性を粘り強く訴え続けている。

 長年にわたる被爆者の活動と悲願は今年1月、核兵器禁止条約(核禁条約)の発効となって結実した。前文に明記された「hibakusha」という言葉は、被爆者の訴えが多くの国を動かした証しと言える。

 当然ながら、条約に背を向け続けている日本政府に対し、長崎は失望している。

 きょう開かれる長崎市の平和祈念式典で田上富久市長は、日本が第1回締約国会議にオブザーバーとして参加した上で、一刻も早く批准するよう政府に求める平和宣言文を読み上げる。

 政府は今なお続く被爆者の苦しみに寄り添い、「長崎を最後の被爆地に」というメッセージに誠実に耳を傾けてほしい。

 無論、核禁条約の発効はゴールではない。むしろ新たなスタートだ。実効性を高めるには、批准していない核保有国などを巻き込み、核廃絶の機運を高める必要がある。その時、力となるのは、核兵器の恐怖と残酷さを伝える被爆地の声だ。

■「体験」を受け継いで

 1970年の平和祈念式典で初めて被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた辻幸江さんが今年、他界した。被爆体験の語り部だった修道士の小崎登明(おざきとうめい)さん、長崎原爆被災者協議会の事務局長を長く務めた山田拓民さんも逝った。被爆者の体験と思いを継承する努力と工夫がますます重要になる。

 長崎市が進める「交流証言者」の事業では、被爆体験を「受け継ぎたい人」が「託したい人」から話を聞き、講話などで語っている。7月末現在、29人が活動している。こうした取り組みにもっと知恵を絞りたい。

 長崎市は今年を被爆100年に向けた「最後の25年の始まり」と位置付けている。被爆の記憶を風化させることなく、「核なき世界」という真のゴールに向け着実に歩を進めたい。

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