【深刻化するコロナ禍】姜尚中さん

危機浸透へ覚悟し臨め

文豪・夏目漱石は何事につけて「さう旨(うま)くは行かないよ」が口癖のようだったらしい。何事も懐疑的でどこか冷めた眼差(まなざ)しで眺めていた漱石らしい発言である。それにしても思う。日本ほどの経済大国で、権力の中枢に、漱石ほどの冷めた客観性すらなく思えるのはなぜなのか。

 「超」のつく楽観論的な展望と、不安や懐疑に応えず鳩(はと)時計のように繰り返す「安心、安全」の言葉。菅義偉政権の誕生以来、多くの国民が、根拠なき楽観論と決まり文句(クリシェ)の繰り返しに辟易(へきえき)してきたのではないか。

 これに客観的な見通しを示してくれたのは行政の中枢ではなく、感染症対策分科会や公衆衛生の専門家、現場の医療関係者たちだった。

 彼らの判断や見通しにニュアンスの違いはあれ、東京オリ・パラをめぐる政府や関係機関の楽観的なシナリオに対し、「そう旨くは行かない」という冷めた見方がコンセンサスになっていたはずだ。

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 実際、急増する新規感染者数や重症者の低年齢化、医療提供体制の逼迫(ひっぱく)など、専門家が危惧した予想通りに事態が推移し、事実上オーバーシュート(感染爆発)になりつつある。その数字は「さざなみ」程度と低く見積もられてきた日本の感染状況が異次元のレベルへと切り替わり、周回遅れで欧米の惨状に近づいてきたという懸念を裏付けているように見える。

 それが現実になれば、自粛で「コロナ疲れ」が目立ち、もはや緊急事態宣言にも「無感覚」になった多くの国民に「行動変容」を迫る切り札はなくなってしまわざるを得ない。五輪メダルラッシュで日本列島が感動のるつぼとなっても、コロナ禍が突きつける「不都合な真実」から目を背けることはできない。

 それではどうしたらいいのか。一部では日本でも「ロックダウン」を実施すべきだというハードな意見もあるが、欧米やオーストラリアのケースを見ても分かるように、強硬措置の効力もかなり限られている。また日本の場合、その根拠法の策定にはさまざまな問題が伴わざるを得ない。

 そこで私見を言えば、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」を逆手にとり、パラリンピックを中止し、新たな緊急事態宣言発出と引き換えに、菅内閣が退陣表明をする手法がある。

 もともとショック・ドクトリンとは戦争や自然災害、経済破綻に便乗して、新自由主義的な改革を一挙に強行するプロジェクトを指す。それを流用し国民に「ショック」を与え、事態のただならぬことを知らせ、行動変容を迫ることがこのシナリオの狙いだ。

 加えて、自宅療養者用のプレハブ収容施設を応急病院の駐車場などに設営して医療資源を張りつかせ、さらに協力事業者への支給や困窮者対策などをパッケージにして示せば、第1回の緊急事態宣言発出の時以上の実効性が期待されるはずだ。

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 英国や米国、イスラエルのケースを見ても「ワクチン万能論」は机上の空論であることが明らかになってきた。「ゼロコロナ」も厳しいとすれば、「究極の選択」とも言えるショック・ドクトリンの流用は、一考の価値があるのではないか。

 もちろん菅政権が自ら幕引きを図ることはほとんど期待できそうにない。それでも起死回生を考えてもいいのではないか。そうすれば、少なくとも政権与党からの離反は防げるし、むしろ支持率が上向くことすらあり得ないわけではない。行政のトップとしての菅総理には、政治家、リーダーの「本懐」とは何なのか、あらためて思いを深めてもらいたい。

 【略歴】1950年、熊本市生まれ。早稲田大大学院博士課程修了後、ドイツ留学。国際基督教大准教授、東大大学院情報学環教授、聖学院大学長など歴任。2021年4月から鎮西学院大学長。専攻は政治学、政治思想史。著作に「母の教え」など。

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