庭に置かれた地蔵、新聞社に送ったはがき…父親たちの悔恨の形

復刻連載・忘却の罪 油山事件と慰霊(4)

 慈悲深いのか、物憂げなのか。古びた小さな地蔵が福岡市街を見下ろす油山にひっそりと置かれている。油山事件とは別に、市内で起きたもう一つの捕虜虐殺事件と関わりがあった。

 連合国軍総司令部(GHQ)の調書に、冬至堅太郎陸軍中尉の供述がある。

 〈将校達に申しました。「空襲に依って母を殺されました。処刑されるのなら私にさせて下さい」〉

 1945年6月20日、福岡大空襲から一夜明けた陸軍西部軍司令部の裏の敷地(現赤坂小学校)で米兵8人が斬首された。うち4人に冬至中尉が軍刀を振り下ろした。上官に命じられた油山事件の故中島徳美(のりみ)さんと異なり、自らの意思で。

   ■    □

 「63年か64年ごろかな。突然、おやじが地蔵を庭に置いたんです。数カ月してもう1体、また1体と…」

 長男の哲也さん(71)=福岡市=によると、全部で4体だったという。あやめた捕虜と同じ数だった。...

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