「食べるものない餓島」ガダルカナルの日本兵の“日記” 返してあげたい…家族探す米兵の孫

 2万人超の日本兵が亡くなった南太平洋ソロモン諸島、ガダルカナル島を巡る戦い。米オレゴン州ポートランドの大学職員レベッカ・スミスさん(51)が、かつて祖父が島で拾った日本兵の手帳を家族に返したいと、西日本新聞「あなたの特命取材班」に依頼を寄せた。1942年8月から半年に及ぶ戦いは、太平洋戦争の転換点。走り書きされた「日記」には、飢えに苦しみ、厳しい戦線を歩く様子がつづられていた。

 レベッカさんの祖父ブエル・ローさん(2000年に死去)は米陸軍第25歩兵師団で無線の敷設などを担った。手帳は昨年の夏、母の家で見つけた。

 「一日中爆撃や砲撃、機上掃射を受け、肝を冷やす」「何等(なんら)兵器を持っていないのが残念だ。これでは戦闘は全然できない」。9月28日から始まる記述には厳しい戦況が書き留められている。島内の飛行場を奪回するために仕掛けた10月下旬の総攻撃は失敗。だが混乱する現場には誤った情報が伝わる。同25日には「昨夜21時飛行場陥落。皆手を叩(たた)いて喜んだ。こんな嬉(うれ)しいことはない」と記した。

 欠いたのは情報だけではなく、食料の不足や空腹を訴える内容も目立つ。冷静に、しかし強い覚悟を書き起こした一文がある。

 毎日の如(ごと)く戦病死者は絶えない。残念でならないが仕方ない…(中略)…兵もこのごろ極力衰弱し、強い完全なものは一人も居ない。皆病人ばかりといって良いくらいだ。

 上陸以来丸2カ月 その間言うに言われぬ苦労を積んで今まで生きながらえているが、何のなすこともなく来たことを残念に思う…(中略)…最期の時は猛然とやろう。俺たち同僚も戦死しあるいは傷つきほとんど残る者も少なくなった、早く細部の状況を知りたいものだ(10月29日)

 11月1日、飢餓の極限にあることを「本当に食べるものがなくて弱る、餓島と名付けても良い」と強い言葉で表現。日付は同17日で終わっていた。

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 表紙に記された日本兵の名前は紙の劣化で判読が難しい。「全国ソロモン会」(東京)で遺族相談員を務め、島での戦いを研究する天谷(あまがい)裕道さん(60)=長野県安曇野市、遺族らによる遺骨収集・慰霊活動組織「福岡ホニアラ会」(現在は解散)の築地武士さん(79)=福岡市=の協力で解読を進めた。

 登場する複数の同僚兵士の名前を、ホニアラ会が関係者の情報を頼りにまとめた名簿などと照合した結果、手帳の主は「歩兵第124連隊第3大隊の柿谷善男・小隊長」の可能性が高いことが分かった。42年8月20日付で陸軍中尉になり、月末ごろ島に上陸したとみられる。

 名簿によると、柿谷さんは京都府出身で43年1月11日に亡くなっている。日本軍が島を退いたのはその年の2月。京都霊山護国神社が合祀(ごうし)する英霊の中に柿谷さんの名前があり、亡くなった日も一致。本籍地は「京都府綾部市」とあった。市遺族会の大島悟会長(80)を通じて家族を捜したが、所在はつかめなかった。

 レベッカさんは「祖父はきっと持ち主を見つけたいと思っていたはず。手帳の主の子孫も(当時の状況を)知りたいと思っているのではないか。家族が見つかればお返ししたい」と願う。現在、厚生労働省に調査を依頼している。

 戦没者の遺品の引き渡しを進める同省の事業では2020年度に約130件を受け付けたが、過去の依頼分を含めて実際に遺族へ引き渡されたのは約50件。見つからないケースが多いほか、見つかっても引き取りを希望しないこともある。関係者は「国や行政が遺品を保管、管理する仕組みが必要だ」としている。

 (金沢皓介)

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