福島で東京五輪先陣 ソフト宇津木監督の悲願と使命

麗しき夢 【1】

(2019年7月26日掲載、肩書などは当時)

 東京五輪でソフトボール日本代表を13年ぶりの金メダルに導いた宇津木麗華監督。「夢であり人生」と語る競技への思いをつづった。

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 練習試合で滋賀にいた私が震災の発生を知ったのは、京都に向かう途中だった。2011年3月11日。JR京都駅で電車を降りて、映像を見たら、街が巨大な津波にのみ込まれていた。「人生って一体何?」「人間って何て無力なの?」。言葉は適切ではないけれど「死ぬ」って、一瞬。こんなに悲しいことはない。

 お金で支援することはできる。でも、それ以上に大切なものや尊いものもきっとある。スポーツの意義がそこにある。最初に日本代表監督に就いたのが11年。代表監督2度目の今回、復興五輪の象徴として福島で開幕戦に臨むにあたり、一人の日本人として勝利の味をかみしめたい。何よりも被災地の方々に「日本人で良かった」「生まれてきて良かった」と心から感じていただきたい。

 観客席から「ニッポンコール」が湧き、皆さんが肩を抱き合って喜ぶ姿を時々想像する。選手には、多数の競技がある中で先陣を切ることができる日程に感謝しようと伝えた。使命も忘れてはいけない。「福島」と「東北」を世界中に発信すること。ソフトボールは東京大会後に五輪の実施競技から再び外れる。浮沈の波に翻弄(ほんろう)されながらも希望を失わなかった選手たちと、被災地の姿を届けたい。

 6月にあった本年度最初の国内合宿直前に、東京五輪まであと「413日」だと知った。ふと頭に浮かんだのが、北京五輪での「上野の413球」だった。上野は心身をすり減らしながら一球一球を投じて金メダルに導いた。私も一日一日を無駄にせず、準備に専心していこうと誓った。「生きていて良かった」と、日本中の皆さんと心を重ね合わせるために。

 ◆宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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