「ミサイル、原発…作れないものはなかった」専門家集団ひしめくソウル「工具街」に迫る存亡の機

 韓国ソウル中心部を流れる清渓川(チョンゲチョン)沿いの乙支路(ウルチロ)、鍾路(チョンノ)が好きだ。昔ながらの庶民の味が楽しめる食堂が点在する。迷路のように入り組んだ路地では、工具の卸売店や金属加工所などがひしめき合う。高度に専門化した品ぞろえと技術を誇り、韓国産業を支えてきた「工具街」だが、都心再開発計画の波にもまれて存亡の機にある。

1万軒の零細業者「韓国産業を下支えする毛細血管」

 「ミサイル、戦車、原子力発電プラント。清渓川に行けば、作れないものはない」。かつて韓国の製造業者や科学者らが、そううそぶいたという逸話もうなずける。一帯には、ものづくりに携わる1万軒もの零細業者が集まっている。間口の狭い軒先のショーウインドーには、各種の金型やバルブをつなぐ大小の留め具、ベアリングの金属球などさまざまな部品類が並ぶ。

 韓国原子力研究所(現韓国原子力研究院)元所長の張仁順(チャン・インスン)さん(81)も、恩恵にあずかった一人だ。米国の大学の研究者だった張さんは1979年に帰国。政府系の大田核燃料開発公団の研究者として朴正熙(パク・チョンヒ)政権から原発の独自開発という重責を課せられた。

原子力関連施設を視察する朴正熙大統領(手前右)(韓国原子力研究院のホームページから)

 韓国は当時、北朝鮮と激しく国力を競っていた。朴政権は兵器国産化のため、重化学工業の育成に注力。とりわけ原発の独自開発は、米国が韓国の核兵器開発を容認しない姿勢を強める中、核兵器に転用可能な高い技術を持つことを北朝鮮に見せつける国防上の重要な意味を持っていた。

 だが発展途上にあった韓国において、与えられた予算は限られていた。張さんらは「清渓川工具街」に通い詰め、実験プラントの稼働に必要なポンプやノズル、パイプなどを調達した。工具街には、在韓米軍が払い下げた軍事関連部品のほか、どうやって仕入れたのか詳細が分からない国籍不明のいわく付きの機械部品も少なくなかった。

㊧顧客の注文に応じて既製品を加工する光景も見られる㊨「工具街」の思い出を語る張仁順さん

 張さんは振り返る。「プラントで必要な特殊なポンプなどは海外に発注すれば費用がかさみ、納入までに時間もかかる。清渓川の商人や職人たちは、こちらの注文に合致する部品を探し出したり、図面を1枚示すだけで小ロットでも試作品を加工したりしてくれるありがたい専門家集団だった」。大学の研究者やメーカーの開発担当者、地方の小売業者らも足しげく通っていたという。

 張さんは2005年に研究所長を退任するまで、核燃料国産化や原子炉開発を率い、国際原子力機関(IAEA)の原子力エネルギー諮問委員などを歴任した。「清渓川は韓国の産業を下支えする毛細血管のような存在だ。集積した技術の継承が求められる」。韓国原子力界の重鎮が危機感を強めるのは、都心再開発のあおりを受けた零細業者の廃業や郊外への移転が相次いでいるからだ。

高騰する不動産、数年内に大型再開発事業

 「小商工人(小規模商工業者)が死にかけている。生存権を保障しろ」。再開発計画が持ち上がった川沿いの工具街を歩くと、再開発に反対する張り紙が目につく。

 清渓川の卸売業、町工場の強みは、同業種間、異業種間の緊密な関係にある。ある店で顧客が探す部材が見つからなくても、別の店に在庫があれば融通し合ったり、顧客を互いに紹介したりする習わしがある。道具街の人々は、こうした相互扶助のネットワークを「産業生態系」と呼ぶ。

 だが一帯の再開発を前に廃業、移転する店が増え、かつての生態系は崩れつつある。既にインターネットを通じた取引や流通管理が主流となっている。地価高騰が続く都心では、多様な品ぞろえを維持するために多くの在庫を抱える商売の在り方にも限界がある。

さまざまな用途の取っ手やノブを取り扱う卸売店も

 「われわれには親の世代から国家の基礎産業を築いてきた自負心がある」。工業用ドリルを扱う卸会社の2代目経営者、洪栄杓(ホン・ヨンピョ)さん(50)は、商品サンプルに囲まれた事務所でこう語った。同業者でつくる韓国産業用材協会のソウル支部長として、再開発に反対する仲間たちと、開発を推進する立場にある市との間で板挟みになりながら話し合いを続けてきた。

 清渓川沿い一帯は1960年代、バラックが立ち並ぶソウル最大のスラムだった。日本に比べて汗水を流して働く職人や技術者が軽んじられる傾向がある中、恵まれない労働環境に耐え、祖国を「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長に導いたのが、先達たちの誇りだ。

 洪さんの店がある区画は数年内に大型再開発事業が動きだす予定で、隣の区画では先行して既にマンション建設が進んでいる。不動産価格が高騰するソウルでは、家族向けマンションの平均分譲価格が1億円を突破。首都圏住民の多くが、都心に供給される限られた物件として一帯の再開発に期待を寄せる。

㊧卸売店の背後では再開発ビルの建設が進む㊨路地裏は車が通れないため、小型バイクが重宝される

 協会としては当初、再開発に反対を訴えたが、世論は無視できなかった。洪さんらは世論と同業者の気持ちをくみ取りつつ、生き残りの道を模索した。

 市などとの協議を重ね、再開発地区内に地元の零細業者が移転して営業することができる公的テナント施設の整備が進む運びとなった。ただし、値上がりが懸念されるテナント料を払って商売が成り立つかなど、仲間たちの心配事は尽きない。

 一帯には小型車も進入できない区画があり、細い通路を縫うように走る運送用バイクとすれ違う。夕暮れ時、路地裏に並ぶ食堂から名物の焼き魚と釜炊きご飯の香りが漂ってくる。人々のなりわいとともにある懐かしい光景は、再開発とともに姿を消す。時代の必然かもしれないが、ちょっぴり寂しさもこみ上げる。

(ソウル池田郷)

 清渓川再生と再開発 清渓川はソウル市の西東を横断する約10キロの河川。朝鮮王朝時代には、生活排水を流す下水道の役割を果たしていた。
川沿いの乙支路地区には朝鮮戦争(1950~53)以降、工具、木材、家具、鉄工、タイル、照明などの関連業者が集積したほか、無許可のバラックが立ち並んだ。朴正熙政権は1950年代後半から、生活排水や汚水が流れ込み異臭を放つ川を土木工事で覆う地下水路化を進め、上部に道路や高架道を建設した。
 しかし地下水路でのメタンガス発生や高架道の老朽化などが都市問題化。のちに大統領となる李明博(イ・ミョンバク)ソウル市長は2002年、河川の覆いと高架道を撤去して清渓川を浄化、一帯を憩いの水辺とする事業を進め、05年に完成させた。以降も周辺では大型再開発事業が続いている。

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