街を大転換する覚悟で…丸の内に息づくイムズのDNA

 三菱地所は31日、福岡市・天神の複合商業施設「イムズ」を閉館する。遠く離れた東京・丸の内にイムズのDNAが生きている―。丸の内エリアの大地主として知られる同社がJR東京駅周辺で続ける再開発事業に、「情報・文化の発信基地」というイムズの発想が息づいているという。イムズに出向した経験がある社員3人の話を聞きながら、丸の内を歩いた。

 8月下旬の日曜日の昼下がり。緊急事態宣言中の東京の中心にある丸の内は、家族連れでにぎわっていた。東京駅前に立つ丸の内ビル(丸ビル)の裏から一直線に延びる丸の内仲通りは歩行者天国になり、飲食スペースが設けられていた。ソファでくつろいで読書を楽しんだり、卓球台で遊んだりする人の姿もあった。

 通り沿いのオフィスビルを見ると、眼鏡店やかばん店、高級ブランド店、カフェなどが低層階に並ぶ。緑が広がる庭のような空間や美術館もある。38歳の記者は小中学生だった1990年代に東京で暮らし、親と休日の丸の内に出掛けたことがあった。人通りは少なく、会社員が通勤するだけの無機質なオフィス街という印象だった。8月に福岡から東京に転勤後、久々に訪れると変貌ぶりに驚いた。

家族連れでにぎわう休日の丸の内仲通り

 平日夜や休日ににぎわいを創出しようと、再開発に乗り出した三菱地所。2002年の丸ビルを皮切りに、保有するビルの建て替えを順次、進めてきた。再開発で重視したのは飲食や物販など商業スペースの充実で、イムズで蓄積したノウハウを生かした。

 1989年に開業したイムズは、同社が全国で初めて手掛けた商業施設単独の開発だ。「イムズを経験しなければ、今の丸の内はなかった」。86年からイムズ立ち上げに関わり、現在は丸ノ内ホテル社長の渡辺利之さん(63)は振り返る。

 渡辺さんは98年に東京に戻り、丸ビルの再開発に携わった。当時の社内には「丸の内に商業施設が入るイメージが湧かない」と懐疑的な意見もあった。出店を要請する店舗側も同じで、交渉は「大きな石を動かすようだった」という。

 それを突破できた背景にはイムズで培った街づくりへの「覚悟」があった。地場の福岡地所や東京の大手など複数の企業が競ったコンペで勝ち残った三菱地所。九州の商都として栄える天神でイムズに求められた役割は、情報・文化の発信だった。物を売るだけでなく、体験型の「コト消費」に力を入れてきた。「徹底的にやる覚悟があった」と渡辺さんは言う。

 丸の内の再開発も、東京駅と皇居の間に広がるオフィス街のあり方を、大規模な投資で転換する「覚悟」が求められた。その推進力となったのが、「商業を学ぶならイムズへ」と送り込んできた社員たち。渡辺さんは「イムズで縦に展開してきたビル造りの経験を、横にエリア展開して街づくりを進めた」と語る。

イムズのレストランゾーンに“森”をつくった桑久保達也さん

 他のビルにもイムズの経験は生きる。97年から2001年まで出向した岸本吉史さん(50)は09年、高層ビルの傍らに庭や美術館がある複合施設「丸の内ブリックスクエア」の開業に携わった。「街にない新しいものをつくって、人を呼び込む。他とは違う切り口で開発を進めたのは、イムズの『進化版』と思っている」

 同じ時期にイムズでテナントの営業管理を担った桑久保達也さん(50)はレストランゾーンに植物や滝のある“森”をつくった。東京に戻り、05年に複合施設「TOKIA」の開業を担当し、丸の内のビルで初めて明け方まで営業する店を誘致した。「テナントと一緒にビルを造る手法は、イムズで学んだ」と話す。

 話を聞き、丸の内の街並みを歩くと、大好きなイムズらしさを感じられた気がした。デパートでもなく、商業ビルでもない。イムズのDNAは丸の内に生き続ける。

(金沢皓介)

 丸の内の再開発 JR東京駅前から周辺に広がる丸の内エリアの面積は120ヘクタールで、およそ100棟のビルが立ち、約28万人が就業する。三菱地所は約30棟を所有・管理しており、2002年の丸の内ビルを第1弾として、30年までに1兆5千億円超を投資して建て替えを進めている。同社によると、商業店舗が増えたことで、18年11月の休日の歩行者通行量は丸ビル開業前(02年7月)の3倍超に増えた。高さ約390メートルの日本一の超高層ビル「トーチタワー」は、27年度の完成を目指している。

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