博覧会、図書館、大相撲からの… ソラリアプラザ&警固公園100年物語

「天神の過去と今をつなぐ」(9)ソラリアプラザと警固公園

 福岡市・天神の中心部に位置するソラリアプラザや警固公園の一帯は、都心のオアシスとして周辺の施設を結び、人の流れを生む“ハブ”でもあります。天神の歴史秘話を紹介する連載「天神の過去と今をつなぐ」の9回目は、この地をめぐる100年余の物語。九州初の観覧車を迎え、屈指の文教地区としても注目を集めたその歩みを、アーキビストの益田啓一郎さんがたどります。

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 肥前堀埋め立て地一帯で開催された共進会

 現在、ソラリアプラザの立つ場所は、明治末まで福岡城のお堀(通称・肥前堀)だった。1909(明治42)年までに堀は埋め立てられ、翌1910(明治43)年春、堀跡地一帯では天神発展の起点となった「第13回九州沖縄八県連合共進会」が行われた。

第13回九州沖縄八県連合共進会の演舞場(正面奥)※著者所蔵写真

 ソラリアプラザの場所も共進会の会場となった。畜産館(家畜の牛馬の展示品評)や演舞館(舞踊や演劇、博多にわかなどを上演)、飲食店コーナーなどが設けられた。共進会に合わせて福博電気軌道が開通するなど、60日間の会期中、91万人ほどの来場者を集めてにぎわい、福岡市は本格的な近代化の第一歩を踏み出した。

 警固公園の敷地は肥前堀の南にあたり、がらすという町名だった。公園の南側に隣接する警固神社の場所に、かつて小烏神社(現在、中央区警固3丁目)があったことに由来する。

 かつて警固公園敷地の南半分は光雲神社だった。光雲神社は1907(明治40)年、現在の西公園へせんぐう(移転)。跡地は共進会との同時イベント会場「第二余興場」となった。

1907年、光雲神社の「御遷宮式」※著者所蔵写真

 余興場では、陶磁器や古物などが並ぶ展示会が行われ、隣接する警固神社との敷地境界付近には、九州初登場の観覧車が設置された。油圧ポンプや度量計器などを製造・開発し、博多に本社を置く「徳永鐵工所」が、外国の観覧車を参考に開発し参考出展したものだった。

 観覧車の詳細が書かれた当時の福岡日日新聞(西日本新聞の前身)の1910(明治43)年3月11日付紙面の記事が参考になる。

 〈大鉄車が風車の如(ごと)くに回転して壮観を呈(てい)しているのは、徳永の『空中観覧車』である。(中略)総高さは七十尺(約21メートル)になる。これを吸入式機械で五分間に一回転する〉と、ガス圧で動く仕組みだったことが分かる。

(左)第13回九州沖縄八県連合共進会の「空中観覧車」、(右)1910年の「福岡市街全図」。まだ光雲社の記述がある※著者所蔵写真​​​​

 さらに〈鉄柵製ののりばこが十八個あり、いっぱい乗れば八人、五、六人なら悠である〉とも書かれている。当時の写真を観察すると座席はなく、立ち乗り式。ゴンドラが最上部に達した際は、博多湾まで一望できたそうである。記事には〈本社半額券特約〉ともあり、新聞社も協賛し、福岡市に初登場した遊戯施設だった。製作費は当時の価格で1万円、現在の価値に換算すると2億円にもなる。

 徳永鐵工所は若松(北九州市)に工場を持ち、官営八幡製鉄所や筑豊炭田に製品を納入。この共進会の前、東京と大阪の共進会に登場した二つの観覧車は、フランスから輸入したものだったので、国産の観覧車としては初めてのものだったと思われる。

 九州人が初めて見た観覧車。物珍しさから人は集まるものの、高所で動くことに対する恐怖心が勝り、有料だったこともあって、利用客はまばらで評判も悪かった。共進会終了後は観覧車の引き合いはなく、せっかくの国産観覧車も後には続かなかったようだ。

第13回九州沖縄八県連合共進会の庭園(手前)と演舞場※著者所蔵写真

 一方で共進会の際、警固公園の北側には有料の「庭園」が設けられた。珍しい樹木を造園業者がガーデニング式のモデル庭園にしたもので、こちらは人気を博した。

 県立図書館と高等小学校

 共進会の後、ソラリアプラザの場所には1918(大正7)年5月、洋風木造建築(本館2階建て、書庫3階建て)の福岡県立図書館が完成した。

 図書館は大正天皇の御大典を記念して開館したもので、南向きに立つ建物には広い前庭が設けられた。館内には、図書閲覧室のほか新聞と児童書の閲覧室もあり、娯楽が少ない時代にあって市民に親しまれた。

1930年ごろの福岡県立図書館全景※著者所蔵写真

 現在の警固公園の区画は、大正期に福岡高等小学校(男子・女子)となる。福岡ビル(解体)の場所にあった高等小学校の新築校舎が完成し、1919(大正8)年12月に移転した。

 当時は尋常小学校で6年学び、2年制の高等小学校へ進学する仕組み。高等小学校は1学年に十数学級があり、全校で1000人を超える生徒が市内全域から集まり学んだという。

福岡県立図書館からみた1937年の福岡高等小学校全景(写真左が女子、右が男子)※著者所蔵写真

 敷地の西側に男子、東側に女子の校舎が立ち、女子校舎の一角では1925(大正14)年5月、実業教育を専門とする第一女学校(市立福岡女子高校の前身)が開校している。

 県立図書館と高等小学校は道路を挟んで向かい合っており、学校が終わると図書館へ通う生徒も多かったそうだ。当時、一帯は福岡市随一の文教地区となった。また、警固公園の区画の西側部分には、かつて藩政時代から寺院が二つあった。福岡藩3代藩主・黒田光之の長男綱之をまつる龍華院と吉祥院だが、昭和初期までにどちらも移転した。

 県立図書館の跡地に福岡スポーツセンター開業

 1945(昭和20)年6月19日の福岡大空襲により、県立図書館も男女の高等小学校も全焼。県立図書館の蔵書は避難させていたわずかな蔵書だけが残り、貴重な書物のほとんどが焼けてしまった。福岡県や福岡市に関する古い書物・資料の多くが、この時失われてしまった。

 1952(昭和27)年4月のサンフランシスコ平和条約の発効に伴う統制解除を受け、天神地区でもビル建設や施設の再開発が動きだした。図書館跡地の広場では、1952(昭和27)年から新天町や岩田屋などが中心となり、大相撲の福岡巡業(天神町場所)が開催されていた。

 図書館の跡地活用が注目を集める中、地元や福岡市の要望を受ける形で西日本鉄道が1955(昭和30)年11月1日、福岡スポーツセンターを開業する。

1955年11月に開業した福岡スポーツセンター※著者所蔵写真

 同センターは、アイススケート場として開館セレモニーが行われた後、すぐに大相撲九州準本場所の会場となった。2年後には本場所となり、福岡の街は大相撲ブームで沸いた。

 

1957年11月、福岡スポーツセンターで開催された大相撲九州場所※本紙DBより

 館内には1956(昭和31)年春、センターシネマも完成。リバイバル作品を中心に上映し、人気を博した。卓球場や喫茶レストラン(センター風月など)もでき、多くの若者が集った。プロ野球西鉄ライオンズの激励会やファン交流イベントをはじめ、ボクシング、宝塚歌劇やボリショイサーカス、ロックコンサートなどさまざまなイベントが行われた。

1974年9月、ボリショイサーカスで多彩な芸を披露する熊※本紙DBより​​​​​​

 県立図書館は戦後、修猷館や東公園内の施設を間借りして再開され、前回の東京五輪最中の1964(昭和39)年10月、須崎公園に完成した福岡県文化会館内で本格的に開館。その後、東区箱崎の現在地へ新築移転した。

警固公園の整備

 高等小学校の跡地は、戦災復興計画および都市計画街路事業に沿って公園用地となり、1951(昭和26)年には公園に整備された。警固公園の誕生である。

 駅に隣接する都心公園は、開園当初から多くの人々が行き交う場となり、天神地区の魅力を押し上げる存在となっていく。

1962年の警固公園。左奥に西日本新聞社の社屋が見える※本紙DBより

 福岡スポーツセンター開業や隣接する西鉄福岡(天神)駅の高架化を経て、1966(昭和41)年3月には、西日本で最初の地下式「福岡中央自動車駐車場」も開業。モータリゼーション(自動車社会)の到来を受けて、都心の駐車場不足の解消にも一役買った。

ソラリアプラザ開業

 1986(昭和61)年6月、西鉄は再開発計画「天神ソラリア計画」を発表。福岡スポーツセンターを含む西鉄福岡駅(当時)一帯を、10年かけて再開発する大規模なプロジェクトだった。

 ソラリアとは、ラテン語の「SOL(太陽)」とイタリア語の「ARIA(空気)」の合成語で、「ふだんの暮らしに旅と芸術を、ミュージアム・ステーション」がソラリアプラザの開発コンセプトだった。

1988年、大型ビル建設が進む福岡市の都心部・天神。手前はソラリアプラザ、向こうはイムズ=福岡市※本紙DBより

 福岡スポーツセンターは1987(昭和62)年5月5日に閉館。跡地には1989(平成元)年3月24日、複合多機能ビル「ソラリアプラザ」が開業。新天町側と警固公園側の双方に玄関が設けられ、1階には公開空き地のイベントスペース「ゼファ」が誕生した。

 ゼファは、解放感あるコミュニティースペースとして、これまで数多くのイベントが開催された。博多祇園山笠の会期中にはソラリアの飾り山笠が建つなど、行き交う人々や待ち合わせの場所として天神で独特の存在感を放っていく。

1999年12月31日、ソラリアプラザで開かれたカウントダウンイベント※本紙DBより

 また館内には、スポーツセンター時代からの映画館やスポーツ施設も設けられ、女性と若者層をターゲットにしたソラリア西鉄ホテルも開業。1996(平成8)年10月1日には、コミュニティーFM(フリー・ウエーブ天神エフエム、現・ラブエフエム)が開業するなど、新施設や機能を加えて進化を続けている。警固公園も時代のニーズに合わせた幾度かの改修を経て、クリスマス時期のイルミネーションなど季節感を演出するイベントの会場としても存在感を発揮し続けている。

人が集まる都心のハブ

 ソラリアプラザや警固公園の土地の歩みをたどると、100年以上にわたって、天神の魅力を高める必要不可欠な場所であったことが分かる。多くの人々が行き交い、都心のハブ機能の役割を果たしてきたのだ。

多くの人がくつろぐ都心のオアシス・警固公園(2021年3月撮影)

 ソラリアプラザは開業から32年が経過し、同じ年に開業したイムズは8月末に閉館した。天神地区の様相は激変しているが、周辺施設をつなぐ要衝にあるソラリアの役割や存在意義は、これからも大きいだろう。

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 益田啓一郎(ますだ・けいいちろう) 1966年大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、社史・地域史の執筆、編集に携わりながら10万点超の古写真と絵はがきを収集してきた。近年では西日本鉄道(福岡市)創立110周年史の執筆、「にしてつWebミュージアム」を監修してきた。博多・冷泉地区まちづくり戦後史、博多祇園山笠「西流五十周年史」など、地域の近現代史の記録活動も継続。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」や、地元テレビ局、映画、舞台などの時代考証や企画、監修も担ってきた。著書に「ふくおか絵葉書浪漫」「伝説の西鉄ライオンズ」など。

1928年ごろの天神。肥前堀埋め立て地(黄色の帯)と福岡県立図書館、高等小学校など(赤地が当時の建物、緑地が現在の建物)※著者所蔵写真

 次世代の姿へ生まれ変わりつつある福岡市の中心部、天神地区。新たな都市空間と雇用を生み出す福岡市の「天神ビッグバン」プロジェクトがきっかけです。福岡をはじめ九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集し、その近現代史を研究し続けているアーキビストの益田啓一郎さん(54)=福岡市=が、再開発エリアの過去と今をつなぐ歴史解説へ、皆さんをご案内します。 ※アーキビスト(Archivist)=文化、産業的な価値ある資料を集め、それらを意義付けしながら活用する人材。

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