「家族全員死んでしまった」沖縄の疎開学童たちが経験した「地獄」

 沖縄戦前年の1944年9月、現在の沖縄県浦添市から宮崎県日向市に国民学校の学童ら130人が疎開した。「勉強に行く」と言われて親元を離れた子どもたちを待っていたのは寒さや飢え、そして沖縄に戻って知る肉親の死だった。学童ら約15人の手記や回顧録を、両市の当事者が冊子にまとめた。編集した男性(84)=日向市=は「戦争に翻弄(ほんろう)された子どもたちの思いを知り、戦争を抑止する力にしてほしい」と語る。

 先生には3カ月間だけ東京に勉強をしに行くのだと言われていました。ワクワクした気持ちでいっぱいでした

 当時浦添国民学校5年生の女性=冊子発行時(87)=はそう振り返る。44年7月に日本が絶対国防圏と定めたサイパンが陥落。米軍は次に沖縄を攻めるとみられた。子どもや高齢者は九州や台湾に疎開させられた。「夜になると海からは電気がついた那覇を見ることができました。それを見ると涙が出てきて1人が泣くとみんなが泣きだすような状況でした」と記した。...

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