ソフト日本の壁だった「世界一の投手」 決め球を本塁打した私の大作戦

麗しき夢 【21】

(2020年1717日掲載、肩書などは当時)

 彼女を「世界一の投手」と呼ぶことに異論はない。1996年のアトランタ大会から米国を五輪3連覇に導いた右腕、リサ・フェルナンデスは大抵のアウトを三振で奪っていた。2000年のシドニー五輪。全盛期の29歳で迎えたリサを擁する米国は日本にとって高くそびえる壁ながら、監督として代表を率いた宇津木妙子さんの打倒米国への執念は揺るぎなかった。「盛者必衰」を掲げ、代表合宿に男子の投手を招いて徹底的な打ち込みを課した。

 シドニー五輪の前に日本リーグ女子のトヨタ自動車に在籍したリサとは、日立高崎(現ビックカメラ高崎)での現役時代に何度も相まみえた。110キロ台の速球だけではない。ドロップやライズボールなどあらゆる球種の切れ、制球も天下一品。特に独特な回転のチェンジアップは60~70キロと遅い上に、左打者の私の体に向かってくる軌道を描くため、実に厄介な球だった。攻略法に頭を巡らした私は“餌”をまくことに決めた。チェンジアップを打てないと思わせるため、対戦するたびにわざと見送ったり、空振りをしたりした。

 シドニーに同行していた男子の元日本代表右腕、大村明久さんはリサのチェンジアップの握りをまねして投げてくれた。彼とは真剣勝負に熱が入るあまり、暑い日などは生ビールを賭けて“対戦”したこともある。オーストラリアとの準決勝前日は試合がなかった。私は体を休めることよりも、大村さんの球を打って勝負勘を研ぎ澄ませた。大会序盤は「1日1安打」をノルマにして後続につなぐことを意識していたのを、妙子さんの考えで途中から本塁打狙いに変更した。当時の日本打線は周囲から「大一番になると打てない」との評価を受けており、そんなレッテルを覆したい妙子さんの意地も感じていた。

 3本塁打を放ったシドニーでは準決勝と決勝で1本ずつ打った。米国との決勝ではリサのチェンジアップを仕留めた。興奮し、自分でキスをした手でホームベースをタッチした。リサはなぜ打たれたのか理解できなかっただろう。私が“苦手なはず”の決め球だったからだ。試合は延長八回、1―2でのサヨナラ負け。頂点への道のりの険しさを味わった一方で、大村さんをはじめ支えてくれたスタッフへの思いがあふれた。

 グラブやバットの道具は同じ名称でも、投手の投げ方やボールのサイズ、塁間の距離が異なる「野球」と「ソフトボール」。来夏の東京五輪では1競技に統合した「野球・ソフトボール」として復活する。復帰へご尽力いただいた方々には感謝の気持ちしかない。ただ一点だけ本音を言えば、結婚して「姓」が変わったような印象を持った。本来は「ソフトボール女子」「ソフトボール男子」であってほしい。過去に五輪競技になったことがなく、男子にとって現時点で最高峰の大会は世界選手権だ。昨年準優勝した日本は世界ランキング1位。同2位の女子にとっての誇りでもある。 (ソフトボール女子日本代表監督)

 ◆宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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