日本では後輩がグラウンドに早く出て練習の準備 中国では逆だ

麗しき夢 【22】

(2020年5月27日掲載、肩書などは当時)

 私はよくチームを「家族」に例える。先輩が姉なら、後輩は妹。日本では後輩がグラウンドに早く出てきて練習の準備をする慣習がある。三十余年前まで過ごした中国では逆の教育だ。経験が長い方、つまり姉(先輩)がやって当然という考え方だから、三塁手だった私はいつも自分でサード周辺の土をならしていた。

 日本が米国に決勝で屈した2000年のシドニー五輪は雨中の延長戦の末、左翼手の落球で幕を閉じた。レフトを守っていた小関しおりさんは9歳年下の当時28歳。日立高崎(現ビックカメラ高崎)のチームメートでシドニーでは同部屋だった。物静かで真面目な性格。冗談好きの私がいじると決まってはにかんでいた。本職は二塁手で、外国人投手に強い打力を買われて外野で起用されていた。

 ここで小関さんのことに触れたのは、私の胸中で20年前の自責の念が消えないからだ。金か銀か、メダルの色が懸かった大一番で一打サヨナラ負けのピンチ。捕手のサインから左翼方向への飛球が予測できたのに投手を励ますことで精いっぱいだった。不慣れな外野守備に就いている彼女のことまで頭が回らなかった。

 次の回に進めば、自分に打席が回ることも分かっていた。あの試合、米国のエース、リサ・フェルナンデスから本塁打を打ち、四球も選んだ。次の打席での狙い球も絞り込んでいた。先の展開を読むことは間違いではないけれど、守備の際に最優先すべき事項ではない。内野から外野に回った選手にとって打球判断は難しい。小関さんは激しい雨で目測を誤ったのか、前進しかけて慌てて後ろに下がり、最後は背中から芝生に転倒。一度はグラブに収めた球をこぼした。「私が一言、声を掛けておけば…」との後悔はそこにある。

 兄弟、姉妹がそうであるようにチームは違う能力を持った選手の集まり。私の「ワンチーム」の考え方に照らせば、最後の場面は「お姉さんが面倒を見る」というポリシーに自ら反してしまった。試合後の会見で失意の小関さんに「どう対応しようとしていたのか」「最後のプレーをどう思うか」と、報道陣から質問が飛んだとき、いたたまれなくなって自らマイクを握った記憶がある。当時の記事を読み返すと「小関さんのミスだと、私は思っていない。一人一人の持っているものを足してチームをつくっている」と発言していた。偽りのない気持ちだ。

 シドニーで日本代表を率いた宇津木妙子さんは「心一つに」のスローガンを掲げた。自分が相手を理解しても、相手が自分の意図を分かっていなかったら意味がない。個々が責任を全うしつつ、他の選手の役割を理解して、補い合うことでソフトボールは成り立つ。アスリートならけがをして悔やむより、けがをする前に指摘された方がいい。代表チームの指導で選手との対話を心掛けるのもシドニーの経験で学んだからだ。決して戻れない過去が、確実に「今」を支えている。(ソフトボール女子日本代表監督)

 ◆宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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