エースに必要な思考法 ソフト上野由岐子を追う存在に伝えたこと

麗しき夢 【35】

(2021年1月12日掲載、肩書などは当時)

 胸の内側で二つの感情が交錯している。年明け早々、再発出された緊急事態宣言に「またか」と感じる一方で、選手たちの身に「もしも」のことがあったらと、考えてしまう。東京五輪の1年延期を機に、どんな現実も潔く受け入れると誓ったばかりなのに戸惑ってはいけない。そんな葛藤を抱えて始まった一年。新しい道を選んだ一人の選手の顔を思い浮かべた。太陽誘電からビックカメラ高崎に移籍した藤田倭である。

 同じ群馬・高崎市に本拠を置く日本一チームに飛び込み、あえて厳しい競争に身を置くという。佐賀女子高を卒業後、12年間を過ごした太陽誘電では主戦。打撃も群を抜いており、投打で看板選手だった。リーグ連覇中のビックカメラ高崎には大黒柱の上野由岐子をはじめ、五輪の代表候補が大勢いる。藤田が入ったことで候補の投手は4人に増えた。入団会見では高校時代から憧れだった上野の存在を移籍の理由に挙げていた。素直な思いだろう。

 身長は165センチと高くはない。体格や身体能力では174センチの上野に劣っても、制球力は素晴らしく、上野よりも上。構えたミットへそのまま吸い込まれていく。スピードも日本の投手では上野の次に速い。110キロを超える投手はそうそういない。彼女は“直球”の性格。上野がいたずら好きでちゃめっ気があるなら、藤田はやんちゃで我が強い。彼女も30歳となり、昔に比べて最近ではずいぶんと大人になった。それでもワンマンな一面が試合中の投球で顔をのぞかせるときがある。ボールだけでなく、心もコントロールできるようになれば、名実ともに上野に並ぶ存在になれる。

 藤田にはことあるごとに「エースになりたかったら、上野みたいに割り切って投げることだよ」と伝えてきた。割り切る、とは「個」を捨てられるかどうか。勝つためには自分を捨てないといけないときがある。どんな世界でも「人のために」と行動できる選手、人間こそ一流。その思考が結果的には己の能力を発揮する最善の方法なのだ。

 意外と照れ屋でもある彼女は「上野さんが1番、私は2番」とよく口にしている。今回の入団会見でも「上野さんに肩を並べられる投手になりたい」と抱負を述べていた。仰ぎ見るのではなく、良い意味でのライバルの存在は大事。ここ数年の代表活動で「2番手」ではなく「二枚看板」と位置づけてきただけに、堂々と上野に挑む姿が見たい。

 藤田自身、勝負する気概が決してないわけではないだろう。何より「1番」を目指すことにこそ意味がある。もし私が同じ立場なら、同じ道を歩んだ気がする。己に重圧をかける意味でもだ。上野由岐子は「山を支えるような人間に」と名付けられたらしい。藤田の名前「倭(やまと)」には「日本を背負うような人間に」との意が込められていると聞いた。人生は一度きり。往復切符ではない。熟慮を重ねて選択した道なら、ただ出発あるのみだ。(ソフトボール女子日本代表監督)

 ◆宇津木 麗華(うつぎ・れいか)1963年6月1日生まれ。中国・北京市出身。元中国代表。88年来日、95年日本国籍取得。現役時代は内野手で日本代表の主砲、主将として活躍し、シドニー五輪銀メダル、アテネ五輪銅メダル。2003年に日立&ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)の選手兼任監督就任。04年に現役引退後は11年から15年まで代表監督を務め、12、14年の世界選手権優勝。16年11月、再び代表監督就任。群馬女子短大を聴講生として卒業。右投げ左打ち。

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