「背中を押してくれた」 映画「MINAMATA」監督が語る水俣への感謝

東京ウオッチ

 俳優ジョニー・デップさん(58)が製作、主演を務め、23日から全国公開される映画「MINAMATA-ミナマタ-」を手掛けたアンドリュー・レヴィタス監督(44)が、西日本新聞の単独インタビューに応じた。1970年代初頭、熊本県水俣市の水俣病多発地区に移り住み、被害の不条理さと抑圧に耐えて立ち上がる被害者たちを追った米国人写真家、ユージン・スミス氏(1918~78)を描いた今作。劇中で、原因企業チッソの社名をそのまま用いた理由についてレヴィタス監督は「名前を使えないのであれば、真実を語れない。この映画をそもそも作る気になれなかった」と語り、その重要性を強調した。8月にオンラインで実施した一問一答を記録する。(聞き手・河合仁志)

 -撮影で苦労したこと、心を砕いたことは何ですか。

 まず、この作品を作る上で大きな挑戦だったのが「この作品はちゃんと届けられるのか、見てもらえるのか」ということでした。実際の製作に関しては、スタッフもキャストも誰のために作っているのか、どうしてこの作品を作っているのかということをはっきりと共有できていた。現場は喜びにあふれ、皆が水俣の物語を世界に届けるんだ、ということを共有していたのです。

オンラインでインタビューに応じたアンドリュー・レヴィタス監督 (c)Larry Horricks (c)2020 MINAMATA FILM, LLC

 問題はこういったシリアスな内容、メッセージ性のある作品を、しっかりと世界の人に見てもらえるのかということでした。残念ながら今の時代、アクションスターや銃が出てこないと、映画館に人が入らない。それでも、特に若い人たちにこの作品を見てほしい。見ることで何かを学び、こういったストーリーと向き合い、よりよい世界にするためのインスピレーションを感じてもらいたいのです。それが一番大きな挑戦だと思っています。

     ■      

 -デップさんとの間で、最初に確認していたことは何ですか。製作中に、当初の思いと変わった部分はありましたか。

 最初にジョニーと決めたこと、あるいは確認し合ったことは、何をこの映画で伝えたいのか、どうしてそれを伝えたいのかということでした。これに関しては2人ともすごく明確に、最初から同意していました。

 今回、ジョニーは役者に徹していました。作品をどういうふうにしていくのかということ、例えばどんなふうに撮影し、どんな景観にしたいのか、見る人に何を感じさせたいのかということについては、私と私のスタッフに任せてくれたのです。

(c) Larry Horricks

 もちろん、製作中に映画は変わっていった。毎日少しずつ作業しているので、せりふも書き換えました。ジョニーだけでなく、素晴らしい役者さんたちと今回コラボレーションをしていく中で、たくさんの会話を重ねました。たくさんリハーサルもしたし、あるいは患者の方々やコンサルタント、それこそ(スミス氏の元妻の)アイリーン・美緒子・スミスさんとも対話をしていたので、日々内容が少しずつ進化していく感じでした。

 とにかく、なるべくそのままをリアルにきちんと正しく、伝えることを心掛けていました。例えば、(音楽を担った)坂本龍一さんとの仕事も今回、作曲家としてパーフェクトなパートナーとしてのものになるよう望んでいましたが、スタジオに入るまではこの映画の楽曲がどんなものになるのかということは全く分かりませんでした。もの作りという意味でも純粋なプロセスを踏み、愛に満ちたものでした。

     ■      

 -映画を作る前と後で、水俣や水俣病に対する見方、印象は変わりましたか。

 私自身がユージンの写真を見て水俣を知ったのは、子どもの頃でした。恐ろしさを感じるとともに、写真から感じる愛や思いやりなど、人間の精神みたいなものにとてもインスピレーションを受けました。自分の心の中にずっと残っていたのです。

ユージン・スミス氏の活動を伝える1974年10月2日付西日本新聞

 後に水俣に関してもっと理解を深め、起きたこと、起き続けていることを知るにつれ、この物語に対する感じ方は変わっていきました。過去の物語ではないんだ-というふうに。今も水俣で起きていることであり、世界中で起きている産業公害といったものを代表している事象であると感じ始めました。

 だから私にとっての水俣は、生涯心に残り続ける物語だと思っています。残念ながら世界は水俣の経験を経ても、変わることはできなかった。つらいことではあるが、水俣の人々が経験したこと、経験し続けていることは、世界中の人々がより良い形で生きていけるようなきっかけをつくってくれると信じています。

 -チッソの社名をそのまま使うことを、最初から決めていましたか。困難に直面しませんでしたか。

 名前を変えないということが、非常に重要なことでした。チッソが歴史の中で、このままスルーされてしまっては絶対いけないと思っています。もちろん日本で、水俣病あるいは訴訟に関して、この企業が今まで努力してきたことは分かっていますが、もしチッソという名前を使えないのであれば、真実を語れません。

水俣市中心部で、今も操業するチッソの子会社JNC=2018年1月、河合仁志撮影

 苦しんできた被害者が実際にいるわけで、私はジャーナリストであり、アーティストでもあります。私のような立場の人間には(権力を持つ側の)好き勝手にされるのではなく、権力を持つ側に真実を突きつける責任がある。最初からぶれることはありませんでした。

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 -ユージン・スミス氏の水俣での仕事を、改めてどう評価していますか。

 人間の一番ダークな部分、つまり人が他者にしうる最悪な事象が写し出されています。一方で、同じ写真の中に、人間の内にある一番素晴らしいものも捉えられているから本当に素晴らしい。そのことにはっとさせられ、映画を作りたいと思わせてくれました。人間の一番最低な部分、最悪の部分と、最高の部分を両方見せられる作品と言っていい。そういった映画を作りたい、映画で表現したいと思いました。

(c) Larry Horricks

 人間の持てる愛や思いやり、互いを支え合う気持ちといった、人間の一番いいところが見える瞬間というのは、実は一番つらかったり、一番大変な瞬間に見えたりするものです。(スミス氏の写真は)人間の両面性にインスピレーションを与えてくれる作品群です。

 -チッソの社長を演じている國村隼さんの役に込めた思いがあると聞きました。

 國村さんは、本当に傑出したアーティストだと思いますし、本当に心温かい寛大な人です。社長のキャラクターとして重要だったのは、リアルな人間であると感じさせることでした。彼もまた、人として自分の人生をしっかり生きています。ただ邪悪なものを象徴しているだけの一面的なキャラクターではなく、一人の人間として描くことが大事でした。

 人間は一面だけでは測れません。多彩な面を持ち合わせていて、このキャラクターには事件の複雑さ、対話が必要だという部分を感じさせられるようなものを醸し出してほしかった。まさにそれを、國村さんが見事に表現してくれました。

 人は何かに触れて心動かされることがあり、どんな立場の人であっても意識を変え、説得することは可能なのだということ。それを示唆する役にしたかったのです。つまり、水俣の人々に心を動かされる役として、社長を描きたかったわけです。

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 -作品の完成度をどう評価していますか。また、どんなメッセージを伝えたいですか。

 最終的にどういう作品ができるのかということは、そしてそれがどんなふうに人々に受け止められるのかということは、本当に知りようがありません。アーティストがものを作る理由は、何かを伝えなければいけないという衝動や欲求があってのこと。今回もそうです。

遠く天草の島々を望み、夕日に映える「不知火海」。悲劇の舞台とは思えないほど、穏やかな水面が続く=2016年9月、河合仁志撮影

 私にとっては、この物語を知ること、関わった人々に出会って話をし、撮影をし、編集をすることは人生を変えるような体験、エモーショナルな体験でした。水俣の物語の一部になれたということも、すごく運が良かったと思います。水俣の人々と実際にお会いした時に、「物語を伝えてもいいですか」と尋ねたら、むしろ背中を押してくれ、信頼してくれました。そのこと自体に感謝と、とても謙虚な気持ちになりました。

 この映画がより多くの人に届いて、水俣の人だけじゃなく、いまだに世界で公害の被害を受けていて助けが必要な人々、当然受けるべき救済がまだ届いていない人々に、救済が届くきっかけになるのであれば、この作品に対しての満足や幸せな気持ちは増すと思います。

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『MINAMATA―ミナマタ―』 9月23日(木・祝)全国公開 © 2020 MINAMATA FILM, LLC 監督:アンドリュー・レヴィタス  原案:写真集「MINAMATA」W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス(著) 出演:ジョニー・デップ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子and ビル・ナイ 音楽:坂本龍一 配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム

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