中村哲さんが見通したアフガンの今 「寄り添う支援」の力浮き彫りに

 アフガン戦争の契機となった2001年の米中枢同時テロから11日で20年がたった。米軍は去り、崩壊したはずのイスラム主義組織タリバン政権が復活。戦闘やテロで混乱を極め、多くの命が失われたこの間も、福岡市の非政府組織(NGO)ペシャワール会は現地で人道支援を続けてきた。「武力の限界と、現地に寄り添う支援の重要性が浮き彫りになった」と識者は話す。

 「20年前を思い出していました」

 9日、福岡市の同会事務所で開かれた会見。発言を促された理事の藤田千代子さん(62)が語り始めた。

 01年10月、首都カブール。9・11テロの犯人を旧タリバン政権がかくまっているとして、米軍などが空爆を始めた。前年に起きた大干ばつを受け、町中には各地から仕事や食べ物を求めて集まった人々があふれていた。混乱の中で大勢の餓死者が出る恐れがあった。

 同会の故中村哲医師が率いるNGO「PMS」(平和医療団)のアフガン人スタッフたちは空襲下で「決死」の食糧配給に回った。翌月までに配られた小麦は1800トン。15万人が越冬できるだけの量に当たる。

 「いろんな政権が変わる中、私たちはただただ、その時のルールにのっとって『目の前に困っている人がいる』というところから目を離さなかったんですね」

 会がアフガンで活動を始めたのは、後に撤退する旧ソ連軍が駐留していた1980年代後半。干ばつを受けて00年に井戸を掘り始め、03年からは用水路を造ってきた。19年に中村さんが銃撃され、亡くなった後も事業を続けている。

   ◆    ◆

 陣頭指揮に当たっていた中村さんは、20年後を見通すかのように状況を冷静に判断していた。

 「『自由と民主主義』は今、テロ報復で大規模な殺戮(さつりく)戦を展開しようとしている。おそらく、累々たる罪なき人々の屍(しかばね)の山を見たとき、夢見の悪い後悔と痛みを覚えるのは、報復者その人であろう」(01年10月17日付の会報)

 「(アフガン政権は)米軍が去れば速やかに崩壊する」「長期的に見ると、米軍はいずれ旧ソ連と同じ道をたどることになる」(03年7月9日同)

 その上で繰り返し強調したのが、人道支援を続けることの大切さだった。

 「この中であればこそ、われわれはこれまでと少しも変わらず、事業を継続する」(02年4月26日同)

 「文化を脅かさず、見返りを望まぬ『生きるための支援』だけが、かえって安全保障である」「人々の関心は『いかに耕し、いかに生き延びるか』という、平和な農村共同体の回復にあることは、肝に銘ずべきである」(03年7月9日同)

 中村さんらが造った用水路で潤う土地は福岡市の約半分に当たる1万6500ヘクタール。60万人以上の生活を支える。ガニ元大統領が「アフガン復興の鍵だ」と認めた事業は、タリバン暫定政権の現地の担当者も高く評価しているという。

   ◆    ◆

 アフガンの事情に詳しい上智大の東大作教授によると、タリバンが攻勢を強めた05年ごろから毎年、数千人の市民が命を落とし、数万人規模の戦闘員が死亡したとされる。米軍もこれまでに2400人超の犠牲者を出した。現地で国連政務官も務めた東教授は「私たちは二つの教訓を学ぶべきだ」と分析する。

 「軍事力で攻撃し、国を造るのは困難であるということ。本当に力を持つのは中村医師のように現地に寄り添い、自立する力を養う支援だということです」

 今も現地の状況は予断を許さない。00年の規模を超える干ばつに見舞われ、国連機関は1400万人が深刻な飢餓に直面していると警告。当時と同じように「タリバン=悪」という図式を基にアフガンが国際的に孤立し、さらなる混乱につながっていくことを藤田さんは懸念する。「今の状況は01年にすごく似ている。この20年が再び繰り返されてしまわないか、大変心配しています」 

 (中原興平)

関連記事

福岡県の天気予報

PR

PR